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老親とともに 信子と啓子
特効薬(信子)

 今冬は、昨年末からことのほか寒く、東京にも珍しく雪も降った。
 そのためもあってか、2月はじめまでに三人の方が立て続けに亡くなった。お一人はもう二、三年このかた入退院を繰り返しておられた男性のお年寄りYさん。お元気なときは垣根越しにおしゃべりもした愉快なおじさんだった。母は同郷の方ということもあって、親しみを覚えていたようだ。「大きな声で、ようしゃべったねえ。そう...脳梗塞だったの」。
 そして、Sさん。彼女はいつも届く年賀状がこなくて少々心配になり、私が岡山の自宅へ電話をかけたのだが、不安は的中した。
 骨粗しょう症ではあったもののとても元気で、毎年芽吹く季節になると、つくし、たらの芽、ふきのとうなどを送ってくれた。腰が曲がってもこれだけはやめられないといって、いつも長い手紙と一緒に届いた。Sさんは、父の女子師範学校教員時代の教え子さんで、もう七十年来のお付き合い。戦争で夫を亡くし、二人の子供を育て、小学校の教師を勤め上げた、頑張り女性だった。母は年齢も近く、姉妹のように一緒に旅行もし、父の晩年も、父が亡くなってからも、交流が絶えなかった。Sさんは、年末近くに気分が悪いといって入院し、息子たちがすぐに駆けつけはしたが二週間もせずに亡くなってしまった。医師の説明は、「アルツハイマー」。息子たちも、私たちも、勿論信じられない。87歳だった。
 母はしばらく押し黙っていたが、「Sさんがねえ...Sさんがねえ...」と何度も何度も繰り返し彼女に話しかけるように、湖国の十一面観音めぐりをしたときの話をしていた。
 そして、お隣のKさん。家族のみんなが仕事に出た後、お留守番をしながら、孫たちの好物のおかずを作ったり、狭い庭に沢山のきれいな花を咲かせる名人でもあった。二年前の胃がんの手術の経過もよく、今年になってからも何度か元気な姿に、ご近所のだれかれが出会っている。風邪も治って元気になった矢先のこと、隣の部屋には孫娘もいたというのに、Kさんは、一瞬のうちに逝ってしまったのだ。大動脈瘤破裂、やさしく穏やかなお顔のままで。Kさんは、私が高校生のころ隣に引越してこられた。母は、年若いお隣さんに先住者として何かと世話も焼いたのに違いない。81歳だった。
 Kさんの告別式の日の朝、母は「よろしくね。」とまるで友達に言伝するように言い残してデイに出かけた。その日から母の血圧は、190から200を上下し、週末までデイはお休みをした。「食べたくない」「体がだるい」といって寝床から起き上がろうとせず、私はやむなく母の好きなドイツ歌曲のテープをかけて「少しうとうとしたら」と言うしかなかった。しばらくして、起きてきた母は「おはっちゃんに電話してみて。何にも言ってこない。生きてるんならええけど......」と。私は大急ぎで母の女学校の同級生だった、岩佐初さんに電話をした。
 ああ、それから何と一時間半にわたって、初めて聞くような大きな元気な声で、喋り捲ったお二人さん。先程までは、お医者の薬じゃ効きそうもないし、私は宗教家でもないし、どうしよう...と困り果てていたのだけれど。母の血圧はあっという間に急降下した。
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