判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
老親とともに 信子と啓子
銀座がだんだんとおくなる(靖子)

 母と一緒に銀座通りを歩くのはいったい何年ぶりだろう?記憶をたどってみても定かには思い出せない。
 「銀座もずいぶん変わったわねえ。まるでお上りさんだわ」と言いながらも、久しぶりにダウンタウンの賑わいの中に身をおいて楽しそうである。お気に入りのヒスイの指輪をし、帽子にはパールのピンと、おしゃれもバッチリきめて華やいでいる。一方、エスコートする私は大変だ。人の流れに乗れず、杖をついて歩く母の足元が気になって仕方がない。
 その日は、祖父が戦後まもなく銀座6丁目に開いた店が近々閉店することになって、見納めに出かけたのだった。いま、母の手をとりながら歩いていると、かつて母に連れられて上京中の祖父母に会いに行った頃を思い出す。当時は為替レートが1ドル360円の時代で、貴金属や日本の美術品を扱う祖父の店には外国からの客が多く、小学生だった私は胸がドキドキしたものだ。今では珍しくもないけれど、祖父からお土産にもらうアメリカやイギリスのきれいなチョコレートやキャンディも大きな魅力だった。昭和20年代後半に入ったばかりの銀座通りには、まだテント張りの屋台の店が並んでいて、靴磨きや物乞いをする人の姿もあった。夜になると灯りに使うアセチレンガスの匂いもした。
 「時代の流れだから仕方がないけれど、淋しいわ」ポツンと母が呟いた。関東大震災で被災し横浜から神戸へ移り住んだ祖父は努力の末に、神戸、京都、そして銀座と店舗をふやした。景気のよい時もあったが、開店した順に姿を消して今回が最後である。創業の頃の祖父や伯父の苦労を見てきた母の感慨はひとしお深いにちがいない。私は私で、店じまいに追い込まれた従弟の心中を推し量っている。
 「まあ奥様、よくいらっしゃいましたねえ。お元気そうで」と出迎えてくれたのは50年近くも住み込みで働いてくれた女性の店員さん。母と同年齢である。「あなたもお変わりなく。これからどうなさるの?」と、さっそく積もる話が始まった。母にとっては昔話が出来る貴重な友達でもあるのだ。ずっと独身を通した彼女は群馬県に住む甥のもとに身を寄せるという。
 「お互いに元気でいましょうね」
 「またゆっくりお話をしたいです」と手を取り合って名残を惜しんでいる様子に、ぜひまたチャンスを作ってあげたいと胸が熱くなる。
 そのあと従弟と一緒にお昼の食事をして、母の‘銀座行き’ビッグイベントは幕となった。
 「今日はお店も見たし、みんなにも会えて嬉しかったわ。連れてきてもらってありがとう」
 銀座にて、母、88歳の春である。
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK