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老親とともに 信子と啓子
春になると(靖子)

 春の息吹が感じられる頃になると、母の「片付けなくちゃ虫」がムクムクと頭をもたげる。おまけに卒寿の今年は「始末しなくちゃ虫」も活発に動き出しそうで、私は内心ヒヤヒヤしていた。先日のこと、とうとう「どうしても六畳の天袋を片付けなくちゃ」と言い出した。‘やっぱり来たか!’と身構える。そこには何年も出し入れしないままのお雛さまや漆器類、その他思い出せないほどの諸々の品が収められている筈だ。これまでも母の気持に添って家の品物を少しずつ整理してきたけれど、かかった時間と労力に見合うとは到底思えない。動くのは専ら娘たちだとしても、母の疲れも気にかかる。
「昔はハシゴに上って全部一人で出来たのに、情けないわ」と母は嘆く。「きれいに片付いているのですもの、このままでもいいじゃない?その時が来たら一気に始末するから安心して」と言っても頷いてくれない。「残された人が大変だから、私が元気なうちに整理しておきたいの」と言う。「貴女たちだって、だんだん歳をとるのよ」と私たちのことを心配している様子でもある。「お座敷の押入れにも目を通さなくちゃ。この際、捨てるものは捨てて」と矢継ぎ早に次のパンチがきた。この分だと母の片付けリストはまだまだ続きそうである。
 この家に移り住んでかれこれ60年、片付け上手な母といえども物の増殖は防げなかったらしい。中には祖父母の代から引き継いだ物もあって、なかなか面倒なのだ。父の遺品は大方始末したとはいえ、思い出の残るものは未だに手放せずにいる。3年ほど前に調理器具や食器類を整理したことがあった。母は何でもむき出しにするのが嫌いで、使わないものはしっかりと包んである。まずそれを開くだけでも手間がかかる。その上、ひとつ、ひとつの器を手にしては、思い出話を始めるのだ。
「このお皿、いいでしょう?昔、京都のおじいちゃんから貰ったのよ」と懐かしそうにしている。私にも見覚えがある有田焼のその皿は、和食にも洋食にもよく合って出番が多かった。盛り付けが終わると、母はいつも庭の南天や紅葉の葉を添える。地色の白に深緑や萌黄色が映えて、料理がいっそう引き立った。
「孫たちが来たらまた使うかもしれないわね。やっぱり置いておこうかしら?」
「それがいいわ」と私は答える。
「このコーヒーカップはパパと一緒に買ったのよ。金の縁取りと形が気に入っているの」
「それも残したら?失くなると寂しいわよ」
「そうねえ」と手よりも口の方が忙しくて、作業はなかなか進まなかった。出して、包んで、仕舞いなおして、結局のところ数は大して減らなかったのである。
 「ママ、せっかくの時間を片付けごとに使うのはもったいないわ。何か楽しいことをしましょうよ」と勧めても、「あとであんな物までとっておいて・・・と言われるのが恥ずかしいのよ」という答えが返ってきた。娘になら丸投げしたっていいのに、と思うけれど、そこが母の母たる所以なのかもしれない。むしろその気力をこそ支えてあげるべきだろう、と考え直した。
「ママ、わかったわ。もう少し暖かくなったら順番に片付けましょう。何でも手伝うから決して一人で頑張っちゃダメよ」と言ったら、「ありがとう。頼りにしているわ」と顔をほころばせた。「物を始末して気が楽になったら、もっと長生き出来そうな気がするわ」

 春本番はもうすぐである。
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