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老親とともに 信子と啓子
新学期(信子)

 「今年は、いつまでも春は名のみやねえ」とぶつぶついいながら、庭の花たちのご機嫌伺いをしていた母。それほど広い庭でもないけれど、こまめに挿し木をしたり実生をそだててきた母だけに、暖かくなってくると気がかりで、じっとしていられない。
 「福寿草が咲きそうよ、やっと梅が咲いたわね、水仙が今年はどうしたのかしら、花が小さいのよ」と嘆いていたのが、「やっぱり春ねえ。杏もレンギョウも馬酔木も、沈丁花も雪柳も、黒椿も、みんなみんなそろった」と嬉しそう。そして、今日はデイのテーブルにといって、黒椿に雪柳とレンギョウをあしらって小さな花束を作っている。
 春を実感しているのは、私も同様なのだが......春になれば、新学期、子供たちのために何かと物入りで気遣う事も多く、自分の仕事の繁忙期も重なってお花見も忘れたのは、遠い昔のこと。しかし、今年は、気分は少しばかり新学期である。
 昨年秋から、準備が始まっている介護保険法の改正にともなう現状変更、具体的には利用方法やサービス内容の変更について、施設側の説明が利用者の家族になされた。“介護から予防へ”と当然のことなのに、いまさらのようにスローガンに掲げて、政策転換?いや保険財政の救済?に大変なのだ。審査基準の要支援、要介護1の利用者の見直しを行い、非該当、要支援1,2、要介護1に振り分けられる。その結果、要支援1,2の利用者には予防給付を、要介護1の利用者には従来どおりの介護給付がなされることになる。さらに、食費にかんして、従来なされてきた助成がなくなり、施設側の経営努力や自治体の補助がない限り40lを超える増額になる。
 さいわい、母は今回の見直しの対象でないのと、自治体の若干の助成のお蔭もありほとんど従来どおりなのだが、どうにも腑に落ちない。制度がスタートしてわずか数年で、将来予測や見通しのあやまりによる、財政赤字のつけを利用者に負担させることが許されてよいのだろうか。
 憂鬱な気分のかくせない家族懇談会で、みんな説明を聞きながら、納得するでもなく勿論賛否を問われるのでもなし、日ごろお世話になっている施設の職員たちへ、なぜか同情するしかなくなる。結局どうする事もできないのだなあ、ほかに選択の余地もないしと思っているところで、説明会は終わって懇談に入った。デイの様子や活動の報告をきいて母の姿が、いかにもと笑えてくる。「99歳になられたHさんと、Nさん(私の母、94歳)は仲良しで、元気。いつも大きな声でお喋りしては笑っています」と。
 家では、「今年は少し編み物でもやってみようかと思っているの」と先日古い残り毛糸を捜していた母。まだまだやる気だなあ......いろいろあるけど、ま普通の新学期なのかもしれない。
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