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老親とともに 信子と啓子
昔がだんだん近くなる(信子)

 お年寄りは昔話が好きだ。母も昔の話をするときは、とても嬉しそうで生き生きとしてくるし、その場の情景があざやかに語られてはっとすることもある。繰り返し繰り返し同じ話を聞かされるのは、少々うんざりだけれど、母の実家や祖母の出自など初めて聞くことのあまりの多さに、いまさら驚く。
 なぜ今、父が亡くなった今、喋り始めるのだろう。
 このことは、不思議といえば不思議だけれど、それだけでない問題を含んでいるようにも思える。
 母の昔話には、ほとんど父が登場しない。
 父が亡くなって数年は「お父さんはね...」が頻出した。このお父さんは、もちろん私の父である。しかし、話題の年代が、年々さかのぼり「私のお父さんったらね...」となる、このお父さんは、母の父親私の祖父である。もう最近の話には残念ながら、私から言い出さない限り、母の夫、私の父はほとんど出番を失ってしまった。

 昔の暮らし向きや食べ物、こどもたちの遊びや着物やファッションなどと、なかなか幅広い話題は、ちょっとした社会生活史でもある。しかし、徹底して父との結婚前のことというのが、私には大いに興味深い。母は、結婚によってまるで生まれ変わったようにそれまでの自分に区切りをつけたのだろうか。誰しも多かれ少なかれ、結婚は人生の大きな転機なのだから、当然考えられることだけれど、あまりの徹底ぶりは、いささか憎い。
 私は、明治・大正生まれの女性たちの多くが、結婚によってやむなく放棄した夢や、もう一つの人生にはせる思いの深層をしみじみ見る思いがした。
 母がいつまでも大切にしていたもの、「幼稚園保母の免許状」と折り紙細工を貼り付けた大きなスクラップブックを思い出す。いつの日かまた子供たちの前に立ちたいと考えていたのだろうか。

 今日は、病身の母親に代わって乳母のように母を育ててくれた「ばあや」のお話。そして、お父さんの「月参り」と称するお伊勢参り、お土産の赤福もちに及んで、やっと現代につながった。
 母の昔話は、まだまだ続く。そして母はもう青春真只中。時に私を「お姉さん」といい、娘を「千鶴子」と自分の従妹の名前で呼んだりして。
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