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老親とともに 信子と啓子
せっせっせ(靖子)

 母は華奢な手をしている。その上しなやかで、掌を反らすと見事なカーヴを描く。娘たちがいくら真似をしてもそうはいかない。掌に力を入れれば入れるほど手首ばかりが曲がってしまう。母はそんな私たちを見て「ホホホ・・」と笑うのである。ほっそりとして指輪がよく似合った指はさすがに節々が太くなったし、右手の親指と小指は多少変形したとはいえ、まだまだ年齢を感じさせない。
 「ママの手はきれいね」と褒めたら「新婚当時パパが言ったのよ『白魚のような手でこれからやっていけるのか?』って」
 あの武骨な父の口からそんな甘い言葉が出たのかと、思わず口元が緩んだ。
 「それでママは何て答えたの?」
 「『一生懸命努めるから大丈夫よ』って返事をしたわ」と言う。そこで「まあ、お熱いこと、ごちそうさま」と冷やかしてあげた。そのお返しに「貴女の手は働く手ね」と言われた娘は「きっとパパに似たのよ」と苦笑するほかないのである。
 母はめったにゴム手袋を使わない。指先の感覚が鈍るから、というのがその理由である。洗い物であれ、庭の草取りであれ、ほとんどの仕事を素手で片付ける。一方私はほんの少しの水仕事にも手袋をはめるし、ハンドクリームもしっかりと塗りこんでいる。それなのに何故か母の手の方がずっとスベスベしているのである。「どうしてえ〜?」と羨ましがる娘に「さあ、どうしてかしら?たぶん生まれつきの体質でしょう」と澄ました顔をしている。そういえば晩年になった父はよく荒れた手をしていてクリームを塗ってあげたっけ。やっぱり父に似たのかもしれない。
 そういう母も姑の世話をしている頃は本当に痛々しい手をしていた。
 「あの頃は洗濯機も紙おむつもなかったから大変だったわね」と言うと、母もまた半世紀前の辛い日々を思い出したのか「ふう〜」と大きく息を吐いた。祖母が脳梗塞で寝たきりになったのは私が小学校2年生の時で、それから7年間母は介護に明け暮れたのである。住み込みのお手伝いさんがいたとはいえ、下の世話から食事の支度、着替えに洗濯と、一切を取り仕切って母は休むひまもなかったと思う。真冬になるとあかぎれがパックリと口を開けて、見るのも怖い気がした。その手で毎日ぬかみそをかきまぜ、大樽いっぱいの白菜を漬けた。さぞ痛かっただろうと今更のように当時の苦労が偲ばれるのである。
 「見て、早いでしょう?」と言って、母は突然グー・チョキ・パー運動を始めた。「貴女もやってごらんなさい」と言われて試してみても、これがなかなか難しい。頭の上にあげた両手でジャンケンをするのだが、うっかりすると右も左もチョキばかりになったり、グーになったりして続かないのである。
 「いつもこうやってテレビを視ながら運動しているのよ」
 それにしても、その手の動きの早いことといったら、とても太刀打ち出来そうにない。それもその筈で、母のジャンケン運動には20年以上の年季が入っているのである。
 「ママ、今度は‘せっせっせ’をやらない?」と言って母の手を取った。「せっせっせのよいよいよい、夏も近づく八十八夜、トントン」と掌を合わせる。やわらかくて温かい手だ。春の陽があふれる縁側で母娘で遊ぶ‘せっせっせ‘。「野にも山にも若葉が茂る、トントン・・・」
 母の手にはいろいろな思い出がつまっている。
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