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老親とともに 信子と啓子
くけ台(信子)

 母は、長い主婦業を引退して、かれこれ10年になるだろうか。もっとも福祉公社の協力員さんに家事のお手伝いを長くお願いしていたので、現在の私の年代には、ジャム作りや古布切れ・古タオルでキッチンの小物制作をしたり、自生の薬草でお茶を作ったりなどと自分の趣味も活かしつつ、大いにゆったりと家事を楽しんでいたようにも見受けられたが。そして、父が亡くなってからは私ども家族との同居生活となり、完全に主婦業を卒業する事となった。そのことが母にとって本当によかったかどうか、いま簡単に結論は出せない(母の希望に従い、私も父の生前の言葉を尊重し、いささかの疑いも持たず現在の状態を選択したのではあるが、このことに関してはまた別の機会に考えたい)。

 私ども家族と暮らすようになっても、母自身は昔どおり自分流に自分でやりたいこと、やれることは自由にやるという考え方で始めたものの、年とともにその数は少なくなってくる。ジャム作りも昆布豆の煮物も、残念ながらもう手は出さない。
 ところが一つだけ絶対にゆずれない(?)こと、私に手出しの出来ない事があったのだ。
 裁縫......うーん、こればかりはどうにも私の力では及ばない。母は新聞を読むのも「ゆがんで見えるよ」「2行分一緒になっちゃう」といって避けているのに、細い細い針の穴に糸を通し、チクチクこまかに一針一針を運んでいる。小さな穴をかがったり、ほころびを繕ったり、寸法を直したり、既製服の簡単な部分リフォームまでをこなす。
 母は、もう長い間自分の着物を仕立てるのは勿論のこと、着ることもなくなったし、ゆかたすらも着ることがない。もっぱら着脱の便利な洋服の生活なのだが、衣生活の日常には裁縫(和裁)の技術が断然幅を効かす。なかでも、「くける」という技術の偉さに私は、感心している。それを不自由な姿勢で懸命に取り組んでいる母が、よほど疲れたのか、突然「くけ台売ってないかしらねえ」と言い出した。
 「くけ台」??思い出した。幼い日母の裁縫箱の横にあったアレだ。今や歴史的記念物のような道具、座布団の下に少し幅広の物差し様の板を差し込む、板の先端に棒が立っていて棒の天辺には丸い針山が付いている。この棒にかけた紐で布をひっぱり、かたや座布団に座ってしっかりと板を抑えて棒を支える。うまく説明できないが、大変な優れものだ。
 私は早速「くけ台」を捜し歩いた。和洋の裁縫用具や手芸用品等々の雑貨を扱う大小のお店をあたったが、ない。最後に一度は定休日だった、小さな古いお店に行ってみた、何と「取り寄せましょう、1年に2,3本は出るんですよ」と。母と同年輩のおばさんが以前お店に座っていたのを、微かに憶えている。

 この優れものが殆ど消えてしまった事が、不思議に思える。多分「くけ台」のほかにも消してはならない道具があるのではないか。文明の利器はそれとして尊重するが、優れた古い道具は、貴重な知恵者のようなもの。母の昔話に真面目に耳を傾けなくっちゃ。明日、「くけ台」が届く。
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