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老親とともに 信子と啓子
お耳よくても(靖子)

 母は91歳になった今でも娘が顔負けするほど耳がいい。ほんの小さな物音も聞き逃さない。「ねえ、何か変な音がしなかった?きっと又ネコが悪戯したのだわ」と言われて外へ出てみると、猫除けに置いた水入りのペットボトルが倒れていた。見回すとひっくり返した当のネコが庭の隅からじっとこちらを窺っていたりする。
 近頃とみに視力が衰えてきた母は以前にも増して熱心なラジオ党になった。就寝前のバックグラウンド・ミュージックならぬバックグラウンド・トークを楽しんでから、「パパ、おやすみ」と眠りにつく。プログラムの中でも母のお気に入りは「料理」と「健康相談」、そして「朗読の時間」である。ちなみに選局はNHKばかり。「深夜便」でアナウンサーOBの懐かしい声を聴くのも楽しみの内らしい。
 「ラジオ放送で料理番組?」と聞いたら、それがなかなか面白いのだとか。「下準備や手順の説明も適切で、色も形もまるで目に見えるようよ」と言う。聴く側にそれなりの知識と経験があってこそだと思うけれど、そこがまた母にはぴったりなのかもしれない。
 「昨夜は○○さんの担当だったわ。声も話し方も以前のままで、あの間合いの取り方が好きよ」
 確かに年齢が若い人ほど、早口になっているように感じる。プロのアナウンサーはさすがに一定のリズムを保っているけれど、街でインタビューを受ける若者たちの言葉に耳がついて行けないことも多い。「これ一体、何語?」と思うのである。
 文字を読むのが辛くなった母にとって「朗読の時間」は読書に代わる楽しみのようだ。
 「森繁久弥さんと加藤道子さんはやっぱり上手ねえ。二人とも、もういいお歳でしょうに」と感心することしきりである。心の中で、たぶんリピートだろうなあ、と思いはしたものの、「あの語り口は何とも言えないわねえ」と応じた。亡くなって久しい徳川夢声さんの‘間の取り方’が絶妙だったのを思い出す。きっとあの頃は世の中のテンポがもっと緩やかで、心を留めて人の言葉を待つゆとりがあったのだろう。
 問い合せたいことがあるからと電話をかけた母が、受話器を手にして「もしもし、少々お尋ねしたいのですが・・・はあ?あの〜もしもし、はあ?もっとゆっくりお願いします」と怪訝な顔で話をしている。「もしもし」と「はあ?」を何回かくり返した母は「変な人よ。私の言うことを聞かずに勝手に喋っているの。ちょっと代わって」と受話器をさし出した。よく聞けば「こちらは音声自動受付です。アナウンスに従ってダイヤルボタンを押して下さい。〜についてのお問い合わせはX番、〜については…」と早口の指示が延々と続くのである。
 「ママ、あれは録音された声なのよ。言われた通りにダイヤルを押さないとダメなの」
 すると母は「機械と話すなんて、イヤな世の中になったのねえ。言葉がおかしくなるのも無理ないわ」と言って憮然としている。
 「ママの言う通りかもしれないわね。人と人が丁寧に向き合うことが少なくなれば、言葉の使い方が変わっても不思議はないもの」と言いながら、私も自分の言葉が昔より乱雑になっているのを認めざるを得ない。
 「これからはきれいな言葉を使うように心がけるわ」と言ったら母もひと言、「私もそういたします」

 ゆったりと流れる時間を留めておきたい春の日の昼下がりである。
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