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老親とともに 信子と啓子
ハンカチ祭り(信子)

 母の通っている通所施設では、ハンカチの花の咲くころに春のお祭りをする。
 毎年、丁度その日にハンカチの花が咲くようにと、お祭りが近づくと庭園の中央にそびえるように立つその大きな木の下で、つぼみを探しているのだそうだ。昨年までは、母も「どうやらだめらしいわ」とか「咲きそうなのよ」と声を弾ませていたのだが......ハンカチ祭りには、それぞれのグループの1年間の活動の成果が披露される。母はコーラスグループに所属しているが、お得意の持ち歌のほかに、新しい歌も堂々と歌うのだから感心する。
 しかし今年のお祭りは、私には格別の思いがある。もう母のはつらつとした姿を見られないのではないかという不安が、いよいよ大きくなってきたからである。

 母の日常の行動に、物忘れのきざしを感じてから数年になる。長谷川式テストで検討の結果アリセプトを服用してすでに3年以上、アリセプトの効果はもう見出せないということで服用をやめたのは、数ヶ月前。そしてその前後から譫妄に悩まされ、担当医師の指示で現在はグラマリール(パーキンソン病の治療薬)を服用しているが、紛れもない認知症は、母の全身に暴れだした。
 人は老いる。誰も老いて遂に逝く。病いで倒れるほか、枯れ木の折れるごとくにぽっくり逝く人、長い眠りの後静かに逝く人、突然の事故でうっかり逝く人、思いっきり我儘を言ってあっさり逝く人。しかし、さまざまの自他への苦しみを残して死に逝くのはなんとも悲しい。なぜさまざまの老いがあり最期があるのだろう。しかもその人が生きた姿を映しているのでは決してなく、しかし、どこかにその人の過去の片鱗も見えないわけではない。怨念といいあるいは遺恨というものだろうか。
 母の状況が一変し、いろいろな奇異行動が現れては消え、結局は私をてこずらせて甘えているのだろうか。不審な目、悲しみにあふれる目、怒りの目、今やっと静かな穏やかさに到達したかにもみえるが、不安は消えない。認知症はきわめて個性的な症状を示すようだ。そのメカニズムはいまだ解明されていないということだから、母の認知症というべきだが、私は、「自分の過去へのイマジネーションの旅」と名づけてみた。

 ハンカチの花がお祭りの前日に一つ咲いた。「お花咲きましたよ」とのお迎えの担当職員の声に、母はわずかに嬉しそうな顔をみせた。
 最前列に座って、頼りなく口を動かす母。でも歌っている。ロイテル作曲「四葉のクローバ」。母が「これは私の十八番よ」といって歌っていた歌だ。
 これでいいのかな。こうして母は旅の終わりに向かうのだろう。
 今年のハンカチ祭りは、終わった。
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