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老親とともに 信子と啓子
手のひらのバトル(靖子)

 母が初めて銀行のキャッシュカードを作った。これまでどんなに勧められても「カードは嫌いよ」のひと言で片付けていた母がどういう風の吹き回しか、お客さま相談員の話を聞いてみると言うのである。担当者から「ぜひ一度お嬢さまもご一緒にお話をさせて頂きたい」と電話があったそうだ。この世の中、通帳と印鑑を持ち歩くのはリスクが大きすぎると言われたらしい。それ以上に母が気を引かれたのは‘本人以外に代理人も1人指名出来る’という点だったと思う。
 その後話を聞くと「お母さまのご都合が悪い時でもお嬢さまが代行出来ますし、セキュリティーの面からもよろしいと思いますがいかがでしょう?」と“手のひら静脈認証機能”のついたICカードを勧められた。この方法だと通帳や印鑑を持参しなくてもカードと暗証番号、手のひらの静脈で本人を認証するという。確かに安全に違いない。
 「そうねえ、歳も歳だし代理人がいると気が楽ね」と母はあっさりゴーサインを出した。
 思い立ったが吉日とばかりに、早速手続きをすることにしたものの、書類に記入するのも一仕事なのである。本人が書き入れる箇所がいくつもあって、明治は1、大正は2と数字で書いたり、該当する項目にチェックを入れたりと、なかなかスムーズにはいかない。その上、罫線が薄いオレンジ色だったりすると大変なのだ。「よく見えないわ」とメガネをかけたり外したりして「白地に黒の線だと見易いのにねえ」と四苦八苦している。
 その次は4桁の暗証番号を決めなければならない。書類には‘生年月日や電話番号はお避けください’と注意書きがある。高齢者にとって、それ以外に忘れ難い番号って一体何だろう?忘れてしまったら元も子もないのに、と思う。相談の末、父の誕生日に決めた。3月生まれなので最初に0をつければいいだろう。最後に手のひら静脈の登録である。ところが、これが最大の関門だった。何度くり返しても上手くいかない。その度に行員がいかにも申し訳なさそうに「もう一度お願いします」と言う。それでもどうにかこうにかクリア出来たけれど、これで実際に役に立つのかなあ?といささか不安になる。代理人の娘の方はさすがに一発でOKだった。
 次の年金振込み日を待って、いよいよ実行することにした。母にとっては初体験である。
 「ママ、私の言うとおりにボタンを押してね。まず『お引き出し』、次はカードをここに入れて」とランプがチカチカしている箇所を指さす。
 「ダメダメ、カードが逆さま!次は暗証番号を押すのよ」
 「そんなに急かせないでちょうだい。え〜と、パパのお誕生日だから・・・」
 「金額を押したら次は‘確認’を押して」といちいちボタンを示す私も気が気ではない。やっと手のひらの認証にまでこぎつけたというのに、ああ、やっぱり!案じていた通りの結果になった。認証されないのである。あげくの果てに画面には<係員をお呼びください>の文字。結局この日は代理人の私が最初からやり直して一件落着となった。あとで係りの人に聞くと、血流が悪いと反応が鈍いそうである。
 「ママ、いい加減じゃないから安全なのよ」と慰めたけれど、母にしてみれば何とも気分が悪いのである。合点がいかないのである。
 以来母は以前にもまして手のひらの運動に余念がない。次の認証バトルに備えて密かに闘志を燃やしているらしい。さてさて、次回の攻防が楽しみである。
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