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老親とともに 信子と啓子
鏡よ、鏡!(靖子)

 母は悩んでいたのだ。1年も、もしかしたらもっと以前から、鏡に映しては気に病んでいたに違いない。初めて「私、かつらを作ろうかしら?」と切り出したのは、6,7年前、父がまだ存命中で介助に忙しかった頃のことだ。
「ねえ、見て」と言われて母の頭頂部に目をやって驚いた。母の言うとおり確かに髪が薄くなっている。よく見ると細くて短い毛が生えてはいるものの、白髪のせいか、遠目にはハゲているようにしか見えないだろう。
「大丈夫よ。ママが気にするほど目立たないわよ」と、慰めとも気休めともつかない言葉を口にしたら「髪が元通りになるのなら、寿命が1年くらい縮んでもいいわ」と切実な返事である。美容師になりたかった、と言っていた母、髪には人一倍こだわっていたのに。いつも会っていながら少しも気づかなかった、と、私は自分のうかつさを恥じた。
 発注先はTVコマーシャルでよく知られたメーカーである。3週間ほどしてオーダーメードのウィグが出来上がった。母の頭の形や髪質、白髪の混じり具合にいたるまで細かく合わせた代物である。髪に留めつけて地毛となじませ、髪全体をスタイルよくカットして仕上がりとなった。
「うわ〜、ステキ!」と本人も娘達も歓声を上げるほど母は若々しく華やいで見えた。傍らでにこにこ笑っていた父の姿も懐かしい。費用は「14日間 デラックス ヨーロッパの旅」に相当する額だった。
 かつら第2号はボーイッシュなショートカット。母にとてもよく似合っていて私は大好きだ。とはいえ、被るのは人に会う時とかきちんとした外出時に限られるから、使用頻度は予想したほど高くない。普段は帽子やスカーフを上手に使って、それはそれでなかなかオシャレである。
 母は2ヶ月に1度、新宿副都心までカットに出かける。メーカー直営の美容室には個室が並び、甘いムードミュージックが流れている。行くたびに新しい製品を勧められて断るのが大変らしい。やがて、かつら第3号が加わった。今度はすっぽり被るタイプである。こちらは本人もあまり気に入らないらしく、ほとんど出番がない。
 そしてついこの間のことだ。美容室から帰った母が何か言いたそうにしている。
「あのね、『他のお客様に納める品をちょっと試しに』と言われて被ってみたら、それがとっても素適なの。『10歳若く見えますよ』って。今まで以上に扱いが簡単で、あれなら買い物にも通院にも着けて行く気になるわ」
「決めるのはママの自由よ。好きにしたら?」と素っ気ない返事をしてから気がついた。そうか、母は私に背中を押してもらいたいのだ、もっとはっきり勧めてほしいのだ、と。
「いいじゃない、頼んだら?ママが楽しければ、それが一番よ。きっとますます年齢不詳になるわね」
「そうねぇ」と今度はまんざらでもない顔になった。いずれかつら第4号がお目見えしそうである。
 それにしても、商売上手な美容師さん、女心をくすぐって!
 母は88歳です。
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