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老親とともに 信子と啓子
寄り添いて(靖子) 10.07.15

 オレンジ色のノウゼンカズラが風にゆれている。夫が結腸がんと診断されたのは、2年前のちょうど今頃だった。大腸を15センチほど切除する手術を受けて退院し、やれやれと思ったのも束の間、イレウスを起こしては緊急入院を繰り返した。母のサポートと夫の闘病が重なって、私は大忙しの‘売れっ子’だった。その後の抗がん剤治療を終えて、夫婦共々やっと一息ついたところである。今、こうして再び原稿を書いていると、その間のことがまるで夢のようにも感じられる。
 母は今年1月、93歳になった。ひとまわり小さくなって、動作もますます緩やかになり、今では杖だけで外出するのは覚束ない。それでも未だに独り暮らしを続けている。食事の献立に気を配り、金銭の管理も人任せにしていない。「これがあれば、まだまだ歩けるわ」と、時にはカートを押して近くのスーパーまで買い物にも出かける。日常の話題にも事欠かず、現在のランキング・ベストスリーは、間近に迫った参院選とワールドサッカー、そして角界の野球賭博問題である。
 そんな母ではあるけれど、さすがに93歳6ヶ月という年齢には逆らえず、「ほんのちょっと庭の草取りをして、食事の支度をしただけで、1日が終わっちゃった」とか、「この歳ですもの、明日のことはわからない」などと、心もとないセリフを口にすることも多くなった。
 つい先日も、いつものようにひとしきり思い出話をした後で、「今のうちに頼んでおきたいことがあるの。私が逝く時に、お棺の中にお寿司を入れてちょうだい」と言うではないか。思わずギョッとしたけれど、母はケロリとした顔で「灘のおばあちゃんに届けてあげるのよ」と、まるで遠足にでも行くような口ぶりである。この曽祖母は幼かった母の頭をなでて、「きっと幸せになるよ」と言ってくれた人である。穏やかで優しかったそうだ。病気で臥せっていたおばあちゃんが亡くなったのは、母が女学校に通っていた頃で、その日、外出間際の母に「お寿司が食べたい」と言ったという。「まさか、そんなに急に亡くなるなんて、思ってもみなかったのよ。望みを叶えてあげられなかったのが悔やまれて、悔やまれて・・・」と、母はその時の情景を思い出すかのように目を潤ませた。
「わかったわ。飛びっきり美味しいのを入れてあげるわね」と約束する。自分よりはるかに高齢になった母が、お土産のお寿司を差し出したら、曽祖母はどんな顔をするだろう?思い出の中で時間は止まったままなのだ。

 私が実家通いを始めたのは、1992年11月、父が脳梗塞を起こしたのがきっかけだった。今年で18年目になる。母が独り住まいになってからでさえ、10年余りの月日が流れた。この間、父母の老いに寄り添いながら、自分自身や夫のために使いたい時間が駆け足で過ぎて行くのは、正直なところ、辛かった。夫と立てた計画も、大半がそのままになった。不器用な私は自分で自分を縛り過ぎるところがある。でも今は、老親とともに分かち合ってきた日々を宝物のようにも感じている。老いと向き合う姿を見せてもらえたことを有り難く思う。そうあることを選んだのは他ならぬ私自身なのだから。この先に何が待っているか不安にもなるけれど、母とのかけがえのない一刻一刻を、目にも心にも焼き付けておこう。自分を律し、毅然として生きた父、独りになってからしっかりと自立して生きてきた母、その時々の二人の在りようを忘れまい。私自身の老いの日々への道標として。
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