判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
老親とともに 信子と啓子
知らないことは幸せ(啓子)

 ブドウの一粒も食べあぐねている母には、もう口から食べることは無理と思った。医者に、「静脈中心栄養に切り替えなくては、栄養失調で最後は餓死です」といわれてそれでもと2日ほどは経口でとがんばってきたけれど、やっぱりだめかと家族一同真っ暗な気分で、経口栄養をあきらめる旨を医者に伝えた。
 管がさらに増えた母は、ふつうは「人工栄養に変わるとみるみる元気になる」といわれているのに、逆に頭痛・吐き気を訴え、状況が悪化した。でもそれはたぶん素人考えだが、突然に濃い栄養が注入されたための異物排除の反応だったのだろう。数日すると目に見えて顔つきが穏やかになった。
 ところで、私ははじめて知ったのだが、人工栄養になると病院からの食事はいっさいでない。飲み込むことを忘れては困ると思って(経口からの薬が処方されていたし)、ヨーグルトなどを買ってくるのだが、空腹感がないのかほとんど食べようとしない。でも栄養は行き渡るからだんだんに元気になってしきりに自宅に帰りたがるのだが、管につながれたままでは、どうしようもない。管から経口に戻るのは母の年齢では難しいと医者から最初にいわれていた。だから「元気になったから食事に切り替えて」と頼むことはほとんど考えなかった。
 が、ある日、医師の回診の時に母が質問したそうだ。「私の食事はいつからでるのですか?」
 「え! 食べますか?」
 「食べなきゃ、うちに帰れないじゃないですか」と母。
 母の意気込みに驚いた医者は、早速に「水様ゼリー」を処方してくれた。本当に水みたいなうっすら甘いゼリーだった。「ああ、まずい」と言いながらも、ミンチ食、流動食と母の進歩ぶりはめざましかった。
 「私はお粥が嫌いだから、ご飯にしてもらって」と言うまでに1週間くらいだった。食べる量は相変わらず少ないけれど、栄養状態を示す数値は改善されて、やがて管も外れた。管がなくなれば歩行も自由になる。こんなふうにして母は1月余で待望の退院を勝ち取った。
 今年はもしかしたら年賀状は書けないかと思っていたほどなのに、自ら賀状を書いている母を見て、つくづく知らないことはすごいことだと思った。二度と経口に戻れないと母は告げられていなかったから、平気で「私の食事は?」と要求できたのである。
 「奇跡の生還だわねえ」と私が感心すると、母はきょとんとして「あんたは本当に大げさなんだから。2、3日入院しただけじゃないの」と言う。
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK