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老親とともに 信子と啓子
逆とおりゃんせ(靖子)

 久々に朝のラッシュに揉まれて母を迎えに行った。病院の予約は10時30分、余裕を持って1時間前には家を出た方がいいだろう。
出来るだけ元気な声で「ママ、おはよう!」と玄関を開けた。
 ツテを頼んだ病院は、急行の停まる駅から歩いて3分程のところにあった。大学病院のように大きすぎず、かといって小さくもなく、予約制なので待合室もざわついていない。創立125年と聞くだけあって、建物は新しくなってもどこかゆったりとした雰囲気がある。手続きをすませて内科へまわり、待つことおよそ20分で名前を呼ばれた。入室すると、担当医は内科部長の肩書きを持つにこやかな方だった。持参した紹介状(診療情報)に目を通しながら「データが丁寧なので経過がよくわかります」とおっしゃる。そのひと言でクリニックの先生から新しい先生へ、スムーズにバトンタッチされたことがわかった。口に出して言ってくださるだけで、患者側の緊張は一気にほぐれるのである。「いい先生でよかった」と思うのだ。それは母も同じらしく、質問もされないのに「貧血と言われても自覚症状は全然ございません。お食事は美味しいし、この歳で毎朝快便がありますの」等と、口まで滑らかになっている。そんな母に先生は「お元気そうですね」と優しく応じてくださった。検査入院になるかもしれないと、半ば覚悟をしていた気持がいつしか軽くなっている。「年齢が年齢なので、身体に負担がかかる検査は心配なのですが」と私も正直に懸念を伝えた。
「実は5年ほど前にも貧血で1月ほど入院したことがあります」と書き写してきた当時の記録をもとにお話しする。朝夕、静脈に鉄剤を注射したこと、退院後も週3回通院して注射を続けたこと、その間のヘモグロビン値の推移と胃カメラや大腸検査の結果、約2年かけて治療が終了したことなどである。その時の病院は間もなく閉院となって、現在のクリニックへ替わったのだった。記録の大切さを改めて認識する。先生は時々メモを取りながら聞いていらしたが、「では外来で出来る検査は外来でしましょう」と言ってくださった。その日は採血と心電図、胸部レントゲン撮影でお終い。その他の検査の要不要は、血液検査の結果を見て1週間後に知らされることになった。「今日から食事にもっと気をつけるわ」と母は早くも闘志を燃やしている。
 そして1週間が過ぎた。
「先生、やはり検査が必要でしょうか?」と母が切り出す。
「いや、その必要はないと思います。これまでに服用した鉄剤の効果も出始めているようですし、薬で改善できるでしょう」
思わず母娘で「嬉し〜い!有難うございます」
先生の説明によると、母の貧血は造血機能の低下が複合的に絡み合って起きたものらしい。鉄分の不足に加えて、ビタミンB12と腎臓ホルモンのエリスロポエチンが足りないのだそうだ。ビタミンB12が不足すると赤血球が大きくなって、数が減少することを知った。
「鉄剤とビタミンB12を28日分出すので、4週間後にまた調べてみましょう」とおっしゃる。それ以外の薬は従来通りクリニックから頂くことになった。
「先生、私、ちょうど90歳と6ヶ月になります」と母が言う。先生はカルテに目をやりながら「そうですね、こんなにお元気な90歳と6ヶ月の方は初めてです」
あの日の帰り道の何と楽しかったこと!「‘行きはこわごわ帰りはよいよい、こわいながらも通りゃんせ’ね」と言ったら「夕食にヒレカツを買って帰るわ」と母が言う。豚肉はビタミンB12の含有量が多いのである。母はそれ以来、ひじきにしじみ汁、ブロッコリーにマグロの赤身と、貧血解消に役立ちそうなものをせっせと食卓に乗せている。
「どんな結果が出るか、今度の血液検査が楽しみよ。先生を驚かせたいわ」
カレンダーのその日には大きな赤丸がつけてある。
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