判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
老親とともに 信子と啓子
優しい手(信子)

 母が認知症を患って(このような言い方でいいのかどうか分からないが、認知症が出るという言い方もある。認知症は病名ではなく症候群ということなのだろう)わずか2、3ヶ月なのだが、症状の進展・拡大の勢いは、きわめて大きいように思う。譫妄、妄想、記憶障害、精神不安定、徘徊行動、悪戯(紙を破ったり、食べ物で遊んだり、故意にこぼしたり)、といった具合に。
 すでにここ2年ばかり、家の外を歩くことは庭をおいてほとんどなく、常に車椅子を使っていた母。それでも家の中ではときには杖も使わずにひょこひょこと歩くこともあったのに、今では「歩く」という行為にまったく興味を失ったかのように、立ち、歩くことをしなくなった。しかし徘徊行動(屋内だけだけれど)になると、不思議なことにゆっくりながら、自由にころぶこともなく歩く、歩き回る。母は、本当は歩きたいのだろうか。杖に頼ることなく、車椅子に乗ることなく。
 母は、食べることも好きだったし、料理も好きだった。マナーや健康を気遣わずに好きなものを好きなだけ、おなかを壊すほどにもいっぱい食べてみたかったのだろうか。自分のお皿にたくさん盛って、食べられなくなっては悪戯が始まる。
 母の変わり果てた姿を見るのは、つらく悲しい。
 そこに何か意味を見出そうとするのは、おろかなことだろうか。たとえそうであっても、私は消え入りそうなかすかなメッセージのかけらでも、探そうと思う。

 かねて、終末期の治療については父とも母とも話し合っていたことではあるけれど、万一のことも考え、しっかり母自身の意思を確かめて、「終末期医療に関する意思表示」(注)に自署してもらうことにした。
 ところがなかなか手が動かない。何度も何度も別の紙に練習をして、私も少々手を添えて、辛うじてサインにこぎつけることが出来た。しかし「意思表示」の内容についてははっきりと理解をしており「わかってるよ。お父さんのときにも、先生にそのようにお願いしたわね。私もそうですよ。」といって母は押印した。文面にある「自然の人生(生命)の終期」という言葉、母が自由な任意の意思で選んだ最期のあり方、なかなかに美しいではないか。
 私は添えた手にあらためて力を入れた。いつもお世話になっているのは「やさしい手」さん((株)やさしい手。在宅介護サービスを手がける事業所。母は入浴介助サービスをお願いしている)、そしてどんなに変わり果てても離れられないのが私の「優しい手」ですよ。

  (注)主治医宛に書かれているこの文書は、武蔵野市福祉公社で用意してもらったものだが、いずれも内容的には似通
     ったものが使用されている。参考までに一部を紹介する。「私は、、、、可能な限り自然な人生の終焉を迎えたいと
    考えております、、、、過剰医療、延命治療については、ご遠慮いたします、、、、下記の各医療処置については、
    拒否いたしますので、、、、これらは、何ものにも強制されない私の自由且つ任意の意思表示である、、、、」「記1.
    気管内挿管及び人工呼吸器装着 2.昇圧剤の使用 3.心臓マッサージ 4.除細動器使用 5.その他自然の人
    生(生命)の終期を阻害する一連の医療処置」
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK