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老親とともに 信子と啓子
特製手習い机(信子)

 母がお習字を始めたのは、父が亡くなってからのこと。母は父がいなくなって何をしていいか分からず、父が生前よく「習字をするといい」と口癖のようにいっていたのを思い出し、「それならば」と始めたのだけれど、もう6〜7年になる。初めの1〜2年は手探りだが、3年目ぐらいから上達が目に見えたように思う。源氏物語の和歌集をまとめる事が出来たのは、指導をされた先生のご尽力に他ならないが、本人としても謂わば最後の力を振り絞ったに違いない。その頃は、寝ても醒めてもお習字お習字で、自分の部屋でいつでも筆が使えるようにしたいと、部屋の模様替えを色々に変えては工夫を凝らしていた。
 しかし、なかなかこれといった妙案も浮かばず、おまけに私が、母が自分の部屋に一人でこもってしまうのを心配して消極的だったこともあり、具体化が遅れた。
 全力投球の源氏の後は、母も「少しゆっくりやる事にしたの。展覧会のためとか、綴りを作るとか、何かの課題のために、決められた日までに作品を上げるのは私みたいな年寄りには無理なの」などとぶつぶつ言いながら、もう部屋の模様替えの件は沙汰やみになったかにみえた。
 ところが、思いがけない事から、母のかねてからの念願が急展開で実現することになった。
 母の部屋は、12畳のスペースがあり、比較的ゆっくりだと思っていたのが、あれもこれもと次々に持ち込んで、何だか手狭にさえ見える。そこに、黙って色々と想をめぐらせていたらしい母が「この鏡台をね、何処かへ移して、鏡台を乗せていたこの台の背を高くするのよ。つまり、この台の脚を長くして、腰掛けテーブルに改造したいの。」といいだした。
 ええーっ!母の言わんとすることはよく分かる。しかし、一人前のテーブルが登場し、行き場を失う鏡台はどうなるの?鏡台は母の嫁入り道具だ、おまけに家を新しくしたとき桐たんすと一緒に綺麗にしてもらった大切な品である。母発の難題は大体私の負けで、これって親孝行なのか、意志薄弱なのかと、考えながら「ちょっとよく検討してみようね」なんて、いやらしい返事をしてしまった。
 それから間もなくして、我が家の築5年の点検のため、工務店のMさんの訪問があった。Mさんはとてもやさしい気の付く建築士。母にも「おばあちゃま、お変わりなくお元気ですね」と声をかけつつ、要所要所の点検を無事こなしていく、そしておおよそ仕事が片付いた頃。母は、上手に「Mさん、一寸相談があるの」と始めた。ああ、やっぱり私の負け。
 今、母の部屋には、特製の美しい厚い一枚板の手習い机が整然とおさまっている。
 この天板となった台は、その昔母の舅(私の祖父)が骨董品を集めていたころ、母がおねだりして貰った、文机。出来上がったテーブルを届けてくれた職人さんは、手で撫でながら「こんな一枚板、今は手に入りませんよ。このひびもすっかり乾いて、ここで割れる事もないでしょう」。母の足の長さに併せて添えられた足台、道具を収めるように一枚棚板もついている。まことに憎いばかりの見事な特製手習い机である。
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