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老親とともに 信子と啓子
庭へ出る(靖子)

 夏の間咲き続けたむくげの花もそろそろ終わりを迎え、庭に秋の気配が漂い始めた。外気に当たりたいとき、気分転換をしたいとき、母はよく庭へ出る。時には猫の置き土産に憤慨したり、雑草取りが忙しくて、と愚痴をこぼしたりもするけれど、外出がままならない今では何よりの憩いの場になっている。
 8月半ば、例によって夕方の定時コールをすると「今日は大変だったのよ」と興奮冷めやらぬ様子である。山茶花にアメリカシロヒトリの幼虫がびっしりついていた、と言うのだ。この蛾は第二次大戦後アメリカから入ってきた害虫で、桜やプラタナスが被害を受けやすいそうだ。思い返すと最初にやられたのはアンズの木だった。屋根よりも高く伸び、春には淡桃色の花が華やかに空を染めた。母は実が熟すのを待ってジャムにしたものだ。私は今でもアンズジャムが一番好きである。それから椿、そして白梅と次々に姿を消す木が増えた。母には文字通り‘憎っくきアメリカシロヒトリ!’なのである。その後、春先に薬剤を散布するようになってから被害は減少した。それでも母は観察を怠らず、見つければ徹底的に駆除している。その日はちょうど妹が訪ねることになっていて、彼女が奮闘したようだ。
「うわ〜、大変だったわねえ」と労いながらも、私は内心ホッとしていた。というのも、私は大の虫恐怖症で、その上すぐに肌をやられる。母に「あなたには庭仕事はさせられないわ」と言われる始末なのだ。
 やれやれと安心したのも束の間、2日ほどして母から電話がきた。切り残した枝にまだ幼虫がいるらしい。のんびりしていたら蛾になってしまうだろう。事は急を要するのだ。翌日意を決して、長袖シャツにスカーフ、マスクに手袋、虫除けスプレーと考えつく限りの一式を持って虫退治に出かけた。
 「ほら、あの一番右の枝、茶色くなっているでしょう?」と言われてもよくわからない。すると母が何やら持ってきた。見るとオペラグラスである。レンズを覗いて思わず背中がゾクっとした。一枝全部に毛虫がびっしりと横並びしている。メガネにマスク、頬かぶりと、上から下まで武装して庭へ出た。道具は小さなノコギリと庭バサミである。虫が地面に落ちては元も子もないので、プラスチックの大きなたらいにゴミ袋を広げて受けることにした。
「ママは待っていて」と言うのに、母までメガネにマスクに頬かぶりでついて来るではないか。その上、背後から大声で叫んでいる。
「あなたには無理よ。私は慣れているから」
そう言われても足元が不安定な母には所詮無理な作業である。
「それなら私がたらいを持っているわ」と横から手を伸ばす。
「やめて!引っ張らないで!」
左手にたらいを持ち、右手のノコギリをゆっくりと動かす。苦心惨憺、最後は手で折り取ってそ〜っと袋に入れた。すかさず母が殺虫剤をかける。
モゾモゾ、ニョゴニョゴと毛虫が動き出した。
「きゃ〜、早く袋の口を閉じて〜!」

 やがて落ち葉の季節がやって来る。散り敷いた紅葉を母が素手で掻き集めると、乾いた葉がカサコソと音をたてる。かつて私たちが子供の頃、たわわに実をつけた百匁柿も今はもうない。従弟妹たちとみんなで柿をもいだのも遠い日の思い出になった。
 母は今、「こんどはハナミズキを植えたいわ」と言っている。
  花水木の稚き苗木植ゑにしが稚きながら紅葉して立つ
                     (細川謙三) 
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