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老親とともに 信子と啓子
秋のメモリー(靖子)

 天高く馬肥ゆる秋、収穫の季節がやって来た。毎年この時期になると母の許に新栗が届く。20数年前、父の友人が土地の名産を送って下さったのが始まりである。それ以来、美味しい‘秋の便り’は奥さま、娘さんへと引き継がれ、受取人も父から母に替わった。
「もうパパもいないのに、ありがたいわねえ」と母が言う。
「パパの置き土産ね」
 こうして長い交流が続くのも、厚意を決して一方通行にはせず、こちらもまた礼儀を尽くしているからなのだろう。
 「渋皮煮は大変だから今年は止めようかしら」と思案していた母が、「やっぱり頑張るわ」と言い出した。虫食いひとつない見事な栗を見ているうちに、闘志をかき立てられたようである。一口に渋皮煮と言っても、並大抵の手間ではない。私など、考えただけでお手上げである。料理上手な妹も作る気はなさそうで、娘たちは未だに‘味わう人’に甘んじている。母はそんな私たちに向かって「食べてくれる人がいるから作る気にもなるのよ」と泣かせるセリフを言うのだ。
 手順の第一は表面の硬い鬼皮をむくことである。熱湯に浸して軟らかくしてから、渋皮に傷をつけないようにむいていく。次に重曹を加えたたっぷりの湯で硬めに茹で、静かに水にとる。
「縫い針を指して茹で具合をみるのよ」
 続いて渋皮の掃除である。竹串で汚れを取るのだが、これがなかなか面倒なのだ。「そ〜っと優しくね」と母は言う。もう一度茹でて渋ぬきをすると、ようやく下準備が終わる。次はいよいよ甘味をつける段階だ。栗を並べ、ひたひたの水に1/3量の砂糖を入れ10分煮る。落し蓋をして一晩おき、残りの砂糖を2〜3回に分けて入れながら、弱火で煮含めていく。この時も落し蓋が必要である。
「栗の頭が汁から出ないように気をつけて」
 火を止めたらそのままシロップに漬けておく。母が3日がかりで仕上げた渋皮煮は、1粒1粒が飴色に染まっている。最後に熱湯消毒した容器に入れ、しっかりとパッキングして完成である。秋の恵みは今、リボンをかけた大きな瓶の中に納まって、父の写真の前に供えられている。母は「お正月のお楽しみ!」と言ってにっこり笑った。
 「矢問の栗拾いを思い出したわ」と、今度は懐かしそうな声になった。矢問(やと)は母が女学生のころ、神戸から一家で移り住んだ所である。当時は‘西の軽井沢’と呼ばれた別荘地だったとか。「兵庫県川辺郡多田村字矢問」と母は今でもその頃の住所を覚えている。幼い日、私たちも何度か連れて行ってもらった。単線の電車を降りると目の前は猪名川の渓谷で、コバルトブルーの水は川底まで透き通っていた。家は川沿いの道路から急坂を上りきった丘の上にあり、裏手には栗林や赤松の林が続いていた。木もれ陽の射す林に入ると、ここかしこに栗のイガイガがパックリと口を開けて転がっている。長靴をはいた私たちは大はしゃぎでイガを踏み開き、栗を取り出しては籠に入れた。祖母が作る茹で栗や栗ご飯の美味しかったことも忘れ難い。
 やがて祖父母は京都へ移り、矢問は思い出の地になった。人づてに聞くと、あの辺りも今ではすっかり開拓されて、マンションが立ち並んでいるそうだ。坂道で見たアケビやカラスウリも、裏の栗林も姿を消しているだろう。訪ねてみたい気持ちと失望したくない気持ちとが交錯している。
「私は行きたくないわ」と母が言う。「幻滅するのは厭だもの」
「そうね」と私も答える。それから母娘で童謡の「里の秋」を歌った。“し〜ずかな、し〜ずかな、さ〜とのあ〜き・・・”
「ママ、‘おせど’って何だっけ?」
「さあ〜、何だったかしら?」
 栗が運んでくれた秋のメモリー。
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