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老親とともに 信子と啓子
死ぬまでに、もう一度(信子)

 母は、幼児のころ母方の祖母から伝統芸能の手ほどきを受け、わずかながらいまだにその雰囲気を嗜む。テレビの芸能観賞の時間は、かかさずかぶりつき。真剣な顔をしてときには手拍子つきで、なにやら口ずさんでいる。
 父はといえば、演劇青年として一度は舞台の片隅にたったほどだから、母の趣味は、やむなく単に趣味として、お蔵入りの琴に託されて今日まで来てしまった。私も、母の両親が三味線を弾き、浄瑠璃を語り、舞を舞うなどとは......今日という日がなかったらついに知らずじまいである。
 考えてみれば、たしかに昨年も一昨年もそうだった。母がデイから帰ってきて「前進座で文楽やってるわ」、「今頃からじゃ、切符はとれないわねえ。もう少し早く気が付けばよかった」とぶつぶつ独り言のように言っている。母とお芝居を観にいったのはもう10年近くも前の事だ。まだまだ母も達者だったけれど、中村勘九郎(当時)と藤山直美の演技が面白くて二人して笑って笑って涙をこぼしたのが、忘れられない。そのことを思い出しては、また二人で大笑いをする。
 しかし、文楽? 歌舞伎でもなくお能でもなく?  ああでもでもあの劇場の前で待たされた、ひどい混雑を思い出すと、気持ちがひるむ。しかし前進座なら行ける、行ってみよう。我が家から前進座まで車椅子を押していくのは、現在の私の体力ではかなわない。タクシーのトランクに車椅子を入れてもらって、劇場の前から劇場内を車椅子で移動する、事前に現場を見せてもらう、出口、入り口、トイレ、座席周りも。
 まだまだ暑い夏の日のこと「文楽観る?」「?!!連れてってくれるの?」「うん」「死ぬまでに、もう一度観たかったのよ」何ともいえない嬉しそうな母の顔。おねだり上手だなあと思いつつ私も嬉しかった。
 いい具合に都合のいい座席がとれ、当日は10月にしてはやや暑いほどの好天、母はご機嫌だった。出し物は『菅原伝授手習鑑』と『釣り女』(昼の部)。私は文字通り初体験の文楽、一応は日本音楽史などに目を通しはしたものの、不安と緊張できょろきょろ、母はすっかり落ち着いて幕のあがるのを待っていた。
 はじめての文楽を居眠りで観賞では母にも恥ずかしい、しかしその心配は杞憂だった。私は、母と並んでかぶりつきで見入っていた、聴き入っていた。見せ場のクライマックスでは、汗とも涙ともつかぬ感動のしぶきが顔面一杯に噴き出して、熱演の太夫の語りは胸に迫った。そして人形たちの演技の何とも愛らしいこと、生身の人間が演ずるよりも、大胆で真に迫るものがある。私にとっては大発見の文楽だった。
 興奮冷めやらぬその夜のお喋り、「お信さん(母の母親)は浄瑠璃もお三味線もとても上手で、お父さん(私の祖父)はぞっこんだったのよ。一人娘のお信さんをお父さんに取られたから、おばあさんは私を養女にして踊りの後取りにしたかったらしいのよ。結局はそんなにうまい具合にはいかなかったけれどね。」なるほど、浄瑠璃は母の人生を変えたかもしれなかったのだ。「死ぬまでにもう一度観る?」「そうやねえ、観たいわ」「私も...」。
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