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老親とともに 信子と啓子
超唯物主義者(啓子)

 父の眠っている墓は、母の住んでいる家から徒歩でも30分、車にのれば10分くらいのところにある。
 命日・春秋の彼岸には、弟2人や私が母を墓参に誘うのだが、母はなかなか行こうとしない。「シンドイ」というのが理由なのだが、それでもなお誘うと「お墓なんて石じゃないの。お父さんがいるわけでもなし」といい放つ。「あんな冷たい石の前でお参りしたってお父さんと話ができるわけでもない」と。
 大正生まれで、多分今でも日本一自由主義と思われる学校で育ち、次男である父と結婚した母は、この年齢の女性にしては珍しく「家」のくびきから自由であり、また徹底した無神論者でもある。
 父が亡くなった前後に親しい人が続けて亡くなり、すっかり心弱くなった私は友達と二人でお祓いに行ったことがある。その話をしたら
 「あんたは若いのにどうして神様とか信じるのかしらねえ。くだらないことをするわね」と呆れていた。そりゃー私だって「苦しいときの神頼み」に過ぎないのだけど。それに一番私がお祈りしたのは、母の物忘れがひどくならないことだったのだが。
 今年の7月。母を訪ねたら仏壇が閉まっている。
 「お盆の時くらいあければ?」と言ったら、「うちは新暦でやるからいいのよ」と言う。
 そして8月。仏壇は開いていない。
 「新盆には開けると言ったじゃない」
 「土日に開けるからいいのよ」との答え。
 日曜日。やっぱり開いていない。
 「お父さんがお盆なのに帰ってこられなくて困っているわよ」私は、仏壇を開けながら言う。
 「あらー、あんたそんなこと信じているの? 死んだ人が帰ってくるわけないでしょ。ばかばかしい」
 「だって気持ちの問題でしょ。お姑さんなんて毎日お榊あげてお米と水をあげているのに」 (姑と母は偶然同じ年齢なのだ)。
 「ひとはそれぞれよ。人と比べたりしないでもらいたい」と母はきっぱり。
 こういうやりとりをしていると、「今年の夏は寒いわねえ」と5分おきに繰り返す母は、もしかして私をからかっているのではないかと思ってしまう。
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