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老親とともに 信子と啓子
むごき定めか(信子)

 今や三人よれば介護の話、誰かしら介護経験者がおり、そうでなくともいずれは仲間入りなのだから、話題は盛り上がる。しかし、現実にはさらに深刻な状況に置かれている人はその場に登場できないのだから、話題の大きさに比し、介護者は大変孤独である。
 私も、仕事は二年間の休業をきめ、ボランティア活動も当面休むこととし、母の介護に専念できる条件をつくった。コーラスの練習だけは続ける覚悟で臨んだものの、演奏会後はそうはいかなくなってしまった。私の社会的行動半径はきわめて小さくなり、社会的感性はおそろしく衰弱したのではと不安でならない。どうせたいした感性でもないのだからと笑いつつやはり気がかりである。
 であればこそ、あっぱれといわれなくとも母が快く思ってくれればと努力はしているが、母は何点をつけてくれるだろう。
 母の認知症がすすみ、私は途方にくれていた。

 介護用ベッド、シャワー椅子、浴槽用ボード、玄関にスロープ板、エレベーターに乗れる小さな車椅子まで、次々に運び込まれる福祉用具がそろい、私の覚悟を後押しする。我が家も模様替えしたように様変わりした。
 朝の支度は機嫌よい目覚めが決めてだ。夜中に異変があると母も私もすべてが狂う。
 私は、頑張って体を起こそうとする母を励ましながら、軽くマッサージをしたり、足の屈伸や足裏の指圧など、聞いたことのある簡単な運動をいろいろ試してみた。はたして、その後の動作にいい影響があるのかどうか分からないけれど、訪問看護師は「体が動かしやすくなりますよ」と私を激励してくれる。効果を期待するのは早すぎるだろうが、つづく着替えがまた一苦労である。何とかようやくベッドに腰をかけ、母はゆるゆるとシャツをはき、下ばきをかぶろうとしている。「ぎゃくよ、シャツはかぶるのよ」といって手伝う。パンツも靴下もブラウスもみんなこの例に漏れることなく、着替えという作業がこんなに重大なことだったのかとため息が出てしまった。何気なく体が覚えている生活習慣を、母は忘れている。その上「今日は少し涼しいから、このカーデガン着る?」といってみても「うん?」と頼りない返事に私はやむなく「そうしようね」と、元気が出ない。
 そして、トイレ。ここは最大のスキンシップと心得はしたものの、無事終わると精根尽き果てるばかりの疲労感におそわれる。やっと便座に座らせて用がたせるのを待つうちに、思わず涙をこぼしてしまった。不器用な私の手さばきと母の抵抗がますます混乱を拡大させ、排泄といういわば自然で元来心地よいはずの行為を難行にしてしまう。母の膝に顔をうずめて、「小さな私に教えてくれたことばかりなのに......どうしてどうして忘れてしまったの。悲しいよ。死にたくなっちゃうよ。」思い余っていってしまった。あろう事か、「あんたと一緒に、死んでもいいよ......」と母にいわせてしまった。

 デイにいく日は少しきれいにしよう。支度を終えて、車椅子に乗りお迎えを待つ。その間に母の髪をととのえうすく口紅を注す。「ごめんね。私やっぱり死ぬのはいや。まあボチボチやっていこう。私たちは運命共同体やねえ。そう思わない?」母は力なく頷く。
 子供のころ母が教えてくれた「ジョスランの子守唄」の哀切な響きと、およそ子守唄らしからぬいささか怖い歌詞が思い出された。私が口ずさむと母も小声で合わせてくれた。

   むごき定め 身にあふりて
   汝(なれ)と眠る のろわれの夜
   胸のうれい 夢に忘れん
   ......
   眠れ いとし子よ  眠れ 今は小夜中
   ああ夢ぞいのち マリヤよ守りませ

 次第に、母は洗面の一部始終も、食事も投薬も、いわゆる全介助に近くなっていった。母と私の呼吸が合っているかどうかは分からないが、母は私の姿が見えないと不安になり、精神のバランスをくずし、時に「どこへも行かないで」といって私の手を硬く握って離さない。まるで磁石のようであった。
 そして私も「よい介護とは?」などと冷静に省みる余裕もなく、「むごき定め」を受容するので精一杯だった。
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