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老親とともに 信子と啓子
秋の遊び(信子)

 母の利用している通所サービスの施設では、職員があれこれ工夫を凝らしてその日一日のメニューをあみだしている。
 軽い体操や昔の唱歌を歌ったりというのは、いわばホームルームの時間のようなもので午前中の早い時間に、午後にはグループに分かれたいくつかのカリキュラム(?)が用意されている。書道や手芸(編み物・縫い物・パッチワークなど)、染色、水墨画、絵手紙、簡単な読書、コーラス、ビデオで映画鑑賞などもある。
 秋の文化祭には、それぞれのグループがお互いにその成果を発表する。どれもみんな立派な作品ぞろいで、わたしが将来ここに参加するとしたら、これだけの作品を制作できるかどうか疑わしい。もちろん、ボランティアの指導員の協力があってのことだけれど、高齢の利用者の大部分の人たちが、このカリキュラムのどれかをできるということだ。書道も、編み物も、縫い物も、みんな子供の頃に学校で習い、あるいは家庭生活のなかで必要な事としてやってきていること。今ではほとんど忘れかけている、しかし懐かしい手を動かす作業が遊びになっている。
 なかでも、今年の秋新しく加わった遊びは、味わい深く優雅なもの。それは、押し花あるいは押し葉。
 母が、「これ見て頂戴、きれいでしょ」と差し出したのは、ハンカチの木の真黄色の大きな葉っぱがそのままの濃い黄色にしあがった押し葉だった。その鮮やかな色はほんとに見事だった。そして、「これは未だ製作中だけれど、うまくいくかしら。2〜30キロの重石がいるのよ」といって、新聞紙にくるんだ四角い包みを大事そうに抱きかかえている。「三日ぐらいで紙を取り替えるのよ、何か重石になるものある?」そこでわたしは、書斎にある辞典や辞書、画集など分厚な本を10冊ばかり集めて積み上げた。「これで、三日ね」と満足げな母。三日たって、おそるおそる新聞紙をはずしてみる。中には、ミルフィーユのように、重ね重ねになったボール紙、その間には薄紙に包まれた秋の花やいろいろの紅葉。しかし、残念ながら花も葉も少し縮み・・・失敗だったのだ。母は黙って見入っている。
「また、来年やりましょう・・・」と独り言のようにつぶやいていた。
 わたしがいつも歩く道も、紅葉が敷き詰められて美しいじゅうたんになっている。いちょう、さくら、はなみずき、かし、くり、つた、色さまざまに、どれも個性的にまるで競い合うように美しい。わたしはその中のきれいな落ち葉を十枚ばかり、母へのお土産に持ち帰った。
 「来年は、ぜひ失敗の無いようにやりたいわ。きれいねえ、この赤も茶色も黄も、この色の重なってるのも、いいねえ。秋の遊びやねえ」といいながら、母はテーブルいっぱいに落ち葉を広げて鼻歌を歌っている。それは、多分「紅葉」。
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