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老親とともに 信子と啓子
ゆく年くる年(靖子)

 「まあ、なんて日の経つのが早いのでしょう。アッという間にまた1年過ぎたわ」と母がつぶやく。
「本当に早いわねえ」
相槌を打つ私にとっても‘アッという間に年の暮れ’というのが実感である。かつて読んだ犬養道子のエッセイに「アッという間などという時間はない」と書いてあったのを思い出す。これといった出来事もない、いつもどおりの日々は記憶の網をすり抜けていくのだろう。
「今年も無事に過ごせてよかったわね。それが何より嬉しいわ」と言ったら「そうね、この年にしては元気よね」と笑顔になった。
「年が明けると数えで90だなんて、自分でも信じられないの」
身体の弱かった母がよくぞここまで、と私も驚くばかりである。まして父亡き後の6年間も1人暮らしを貫くなどと誰が想像しただろう。「何事もなく」と言えるのはとても幸せなことなのだ。
 「『1人で淋しくありませんか』って聞かれるけれど、私、淋しいと思ったことがないのよ」と言われた時には耳を疑った。娘たちに心配をかけまいと強がっているのかと思ってもみたが、あながち嘘ではないらしい。
「今でもパパがいるような気がして、いつも話しかけているのよ」と言う。「それにクマちゃん達にも声をかけるし、淋しくないわ」
クマちゃんというのはアイヌの木彫りの熊のことである。母は新婚の2年間を父の赴任先の北海道で過ごした。一抱えもあるペアの熊には当時の思い出が詰まっている。その後、友人知人から贈られたものも入れて5頭に増えた。毎朝「クマちゃん、オハヨウ」と頭をなで、夜は「オヤスミ、また明日」とペタペタやるらしい。おかげでどの熊も頭や鼻先がピカピカになっている。その上最近は縫いぐるみのクマやコアラまで加わったので母は大忙しに違いない。動物の縫いぐるみは大人になった孫たちからのプレセントである。
 「若い頃のように体がスイスイ動かないし、何をするにも時間がかかるのよ」
そうだろうなあ、と思う。アッと言う間に1日が過ぎるのも無理はない。「でもね、私、いまとても幸せなの」と、今度はしみじみと実感のこもった口調になった。
「あなた達に助けてもらいながら、こうして頑張っていられるのは1人暮らしをしているからよ。辛い時もあるけれど、もういいわ、と思ったらお終いだもの」
なるほど、‘1人で踏ん張っている’という自負心が母を支えているのだと納得する。
「何といってもママは現役だもの、すごいわよ」と褒めたら「自分でもよくやっているなあ、と思うことがあるわ」と正直な答えが返ってきた。
「この頃血圧が安定しているのはストレスがないからかしら?」
母の本音を聞いたような気がした。住み慣れた町で、住み慣れた家で、たくさんの思い出の品に囲まれて、母はいま、誰のためでもない自分の生活を楽しんでいるのかもしれない。それも全くマイペースで。1人暮らしの中で、それまで母自身にもわからなかった一面を発見して自信を深めているようにさえ思えてくる。幾つになっても自分自身はブラックボックスなのだと、人生の先輩でもある母の姿から学ぶことは多い。

 もうすぐお正月。パパとクマちゃん、コアラちゃん、来年もママを見守ってください。
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