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老親とともに 信子と啓子
やっぱり第九(信子)

 第九が十二月に演奏されるようになったのは、ごく単純な理由かららしい。
 戦後、1940年代の後半のことオーケストラの収入を増やすための苦肉の策として、試みられたのが、初めとか。第九シンフォニーは、合唱つきで親しみやすくポピュラーなのもいい、そして何よりシラーの詩(An die Freude、「歓喜に寄す」)は美しく元気が出る。敗戦後の暗い世界に歓喜の声が届いたのだろうか、次第に音楽好きの足がコンサート会場に向き、1960年代には第九の十二月演奏が恒例となったということだ。

 我が家の第九体験は、姉の音大入学に始まる。まだ1950年代も初めの事だ。勿論テレビもなく、紛れもない音大生の姉の生演奏による、あやしげなドイツ語の「フロイデ、フロイデ」であった。当時、姉の通学する音大が合唱を担当していたのだろうか、年末が近づくと、ところかまわず大声を上げて練習する。おかげで、母も私もいやおうなしに覚えてしまったのである。
 母は私より徹底していて、寒くなってくると、台所に立っていてもお風呂場を洗っていても、洗濯物をたたんでいても、フロイデを歌っていた。しかし、なぜか何時のころからかみんな歌わなくなっている。ま、正確には十二月になると「第九だなあ」とふと口ずさんでみるという事になっているのだが。

 ところが、母が、おそらく50年ぶり位にもなるだろうか、第九を歌うというのである。
 デイのコーラスグループが、大層熱心なサポーターやボランティアの指導もあって、クリスマスコンサートを催したのが、12月の半ばだった。大変好評だったので、母いわく「まあね、嬉しくなっちゃったのよ。十二月はやっぱり第九だって。歌うことにしたのよ。」ということらしい。もしかして、いやあ案外、母が言い出したのでは・・・と思うほどに母は興奮している。「ええ?まさか!これから練習は?」これは大変なことになった。「もちろん、歓喜の歌のところだけよ」と、でも母は有頂天だ。「練習は今日もうやってきたのよ、すごいわねえ、みんな知ってるんだもの。」
 私も50年前の光景を思い出す。
「抱きたまえ、幾百万の人々よ! この口づけを全世界に! 兄弟よ、君たちの道を走れ」
シラーの詩を思わずうたう。
「頑張ってね。十二月だもの」と私は母を激励する。「やっぱり第九やね」。二人で顔を見合わせて笑う。
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