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国際社会の現在(いま)―ジェンダー視点から
【4】「信じる力」の前に言葉を失う話
  (10.11.15)

いやもう、すげぇなと思うのである。
なにがって、「信じる力」である。

信念によって、目の前の事実を自分の都合のよいようにねじまげる力。
そんな間違った「信じる力」はやけにパワフルで、世に点在するすべてを集めたら原子炉一基ぶんの発電ぐらいできるのではないかと思わせる。
周囲の人間を驚愕と呆れのるつぼにたたきこみ、衰弱させる様は、なにやら放射性物質に似ている。

大学教師をやっている友人(30代・女性)の話である。
彼女が雑誌を読んでいると、大手通信社につとめる女性記者の座談会がのっていた。

新聞記事の性差別表現をなんとかしたいのだが、男性のデスクにそれをチェックする能力がないのだという。
「いや〜男女差別とかないと思うよ〜」
というから、賃金差別の統計など数字を見せて説明するのだが、
「偏ってるんだよね、君は」
といわれてしまうそうだ。
「「偏ってるとかじゃなくて、これ統計ですから」って言い返しましたけど。「思うよ」じゃねぇんだよ」
と記者。べつの全国紙の女性記者が「数字を「思う」で論破しようというのはすごい(笑)」と合いの手を入れていた(『週刊金曜日』805号、33頁)。

自分にとってイタくない、自分にとってツラくない方向へと、「信念の力」でもって事実を都合よくねじまげる。
こういう人間がまだ「社会の公器」たる新聞社にいるとは。
「いやー、タイヘンだね」とつぶやきながら、彼女は雑誌のページを閉じた。

が、まさか数日後に自身に同様のことが起ころうとは。

彼女は300名ほどの学生が受講する大講義を担当している。
学期末をむかえ、試験を実施することになった。カンニング防止のため、机の端と端に学生を座らせて試験をするのが、その大学のやり方だ。
となると、いつもの教室の席数では足りず、かといってそこよりも大きい部屋がないので、複数の教室に分けて試験を実施することにした。
教室が複数に分かれるので、彼女が担当できない部屋は、熟年の事務職の男性がつくことになった。
その人物は、試験の方法の説明をすると、「はい」とも「へえ」とも言わず、口をへの字に結んで、黙ってうなずくのだった。

そのやり方というのが、頭をこころもち後にひっぱって助走をつけたのち、前方に深くコックリさせるという、ムダに深いうなずきであり、見方によっては子どもじみていて、いい大人がするのは、なんだか異様な感じがするのだった。
いやな予感がしたが、チェンジを申し出るわけにもいかず、任せた。

予感が的中したことを知ったのは、試験終わりである。
男性が担当する教室に答案を回収しに行くと、学生がバラバラと教室を出ていっている。
男性には、答案を回収したあと、答案の枚数を数えるように依頼している。
答案を提出せずに帰ってしまう学生がたまにおり、そういうことをされると後々トラブルになるから、答案枚数と受験者数とが一致しているかどうか確認しないといけないのである。
枚数を数える時間を考慮に入れると、学生を解放するのは、まだ早すぎる。
案の定、男性は答案を数えてなどいなかった。
なぜ数えなかったのかを尋ねると、「人数を数えてるんだからいいじゃないか」といって、受験者数をカウントした紙をヒラヒラさせた。

受験者数を数えることによって、どうして提出された答案の枚数を数えたことになるのか。軽いめまいを覚えつつも彼女が尋ねると、
「ああそうですか、そこまで信用してないんですね!」
と捨てゼリフを吐いた。

答案の数は数えていないが、おそらく受験者数と一致しているのに違いない、オレを「信じろ」という意味である。
信じるべき根拠がないものを信じ、他人にその「信念」を押しつける。
指示にしたがわなかったという事実にはフタをしたままだ。
噂に聞く「信じる力」とはこれか、と彼女は思ったという。

この人物に何かいって理解させる自信はなく、「もういいです。お疲れさまでした」というのがせいいっぱいだったそうだ。

以上は、友人の話である。
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