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『智恵子飛ぶ』(津村節子・講談社文庫)
       鴨川明子評 atika_112@hotmail.com

 芸術家とはエキセントリックなもの、と往々にしてみなされがちである。
 そんなエキセントリックな芸術家の男女がいたとする。果たして彼らは結ばれることがあるのだろうか。先日この問題についてR男と大議論になった。
 エキセントリックな者同士は衝突してうまくいかないと主張する彼と、エキセントリックな者同士は刺激をし合って、お互いの創作活動に相乗効果を生むことを強調する私。どちらも持論を主張して曲げず、議論は平行線のままだった。
 さて、本書で描かれている智恵子と光太郎である。
 彼らはともに芸術家、そして100年も前の当時としては、エキセントリックの極みを地でいった男女だ。特に智恵子は、高等女学校、日本女子大学、絵描きの研究所と、当時の社会から見ると、どれを取っても女としての価値を落としかねない進路を選択してきた。そういった時代的な背景に加え、彼女が生まれた福島・会津という土地の地域的な背景からも、智恵子は「エキセントリックな」女性とみなされていた。
 光太郎と結ばれ、真なる芸術を探求するという同じ目的を持って共同生活を始めた智恵子だったが、光太郎の才能を認める余り、そして光太郎の望む自分でいようとするあまりに、彼女は遂に精神を病んでしまい、光太郎との共同生活もやがて幕を閉じた。
 だから、言わんこっちゃない、というR男の声が聞こえてきそうだが、私にだって言い分はある。否、智恵子にだって言い分はあるはずだ。人生において、自分の望む選択肢を選んでこられた智恵子はとても幸福で、光太郎と真剣に結ばれたからこそ破綻もできたのだ、と。ただ、光太郎の才能を受け止めるにも、あるいは否定するにも、智恵子は少し真っ直ぐすぎたのかもしれない。
ともにエキセントリックな男女が幸せに結ばれることはあるのだろうか。本書を読んで、改めて考えてみるのもいいかもしれない。
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