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菊地夏野『ポストコロニアリズムとジェンダー』青弓社 2010年

 本著は,軍事占領期沖縄の売買春と日本軍「慰安婦」問題に現れた女性の表象を,ジェンダー論・フェミニズムの立場から問い直す。ポストコロニアリズム論の中で,女性のアイデンティティ自体が厳しく問い直され,ジェンダーに着目すること自体が揺るがされる事態となった。本著は,このアポリアを乗り越え,女性の分断や沈黙を打ち破ることを試みた意欲作である。
 まず,第1部は社会学とフェミニズム理論の現状について概観し,本著の理論的視座が明らかにされる。1990年代に社会学で行われた「性の商品化」論争が取りあげられ,その論争が一定の意味があったものの,問題の多元性や構造的側面を探るまでには至らなかったことが指摘される。さらに,戦時下の性暴力や売買春を,ジェンダー論やフェミニズム研究が分析する方法も論じられている。第1部は,専門的で,研究者以外の読者にはやや難解かもしれないが,第2部以下の具体的分析の前提となる理論的・方法論的検討となっている。
 第2部は,軍事占領期沖縄で売買春がどのように行われ,どのような意味を持っていたのか,沖縄と本土の女性運動はどのように関わっていたのかを考察する。軍事占領がはじまると同時に兵士による性暴力に悩まされた沖縄社会は,売春女性を管理すること(Aサイン制度)で問題解決を図ろうとした。だがそれは,Aサイン制度の進行の中で占領統治の強化へとつながった。Aサイン制度は,建前上売春を禁止しながら,一方で厳格な性病検査システムを作り上げ,アメリカ兵の性病罹患による戦闘力低下を予防しようとした。Aサイン制度は「自発的な」売春という形式を取ることで,女性に対する暴力の告発を困難にし,彼女たちに沈黙を課した。兵隊となった男性たちの鬱屈する抑圧が,セクシュアリティに結びついて,彼女たちに見えない暴力として押し付けられていた。この過程の分析から「性の商品化」論争で単純化されていた「自由意思対強制」の構図によって売買春をとらえることの限界が浮かび上がる。自由意思の裏側には複雑な権力関係がある。
 第3部は,日本軍「慰安婦」問題におけるナショナリズムと女性の表象の関係が考察される。「新しい教科書をつくる会」の言説を精緻に分析し,そこで展開されるナショナリズムが「女性の沈黙」を求めていることを指摘する。すなわち性暴力被害にあったとしても,「国の名誉」「家族の名誉」のためにあえて告発せず我慢する女性の表象である。そして沈黙を破った女性に対しては,ただちに「売春婦」の表象を与え,排除する。彼女たちは,主体的にやったのだから,公的責任を取る必要がある範疇には存在しえない。そのナショナリスティックな世界観では,性暴力に抗議する女性が存在する余地はない。抗議したとたんに,その女性は公的世界の外部に,排除される。女性国際戦犯法廷と,それを報道したNHKのテレビ番組をめぐる動きについて考察する章は,NHKの「自主的な改竄」を皮相的に「表現の自由」ととらえられ,政治的圧力について十分批判されなかったという,「表現の自由」をめぐるアポリアを考察するもので,迫真の勢いがある。
 大学院時代に執筆した論文を元にしたという本著を,著者はあとがきで「粗削り」で,「恥ずかしく思う。」と同時に,「これらの真っ直ぐな論文を,今の自分には書けるだろうか」と心を刺されるという,「真っ直ぐ」とは本著の真摯さ,勢いをまさに言い当てた言葉である。慎重すぎるほど慎重に書かれたところもある一方,突如著者の思いがほとばしるのが止められないかのようなところもある。若干手に汗握る思いをしないでもないが,若々しい勢い・力強さに胸を打たれる。学術研究にも関わらず,沈黙を強いられてきた女性の声を聞き取ろうとする祈りの書にも思える。著者の今後の研究にも期待する。(良)
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