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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
雨宮まみ著『女子をこじらせて』ポット出版 2011年

 2011年に出たこの本により「こじらせ女子」という言葉が一時期話題になったことも知らないまま、上野千鶴子が毎日新聞で「おもしろさにぶっとんだ」とまで評価しているので、2013年も年末という日に読んでみた(我ながらおそっ)。
 雨宮は、おもにエロのフィールドで活躍するライター。雨宮の説明によると、「音楽ライターがアルバムや新曲のレビューを書いたり、ライブレポートを書いたりするように、新作AVのレビューや、撮影現場レポートを書いたり、女優さんや監督さんに取材したりする仕事」である。結構真面目に、使命感に燃えて書こうと、「今作では彼女本来の痴女の才能が遺憾なく発揮されて、時にはイタズラっぽく、時には容赦なくM男を襲って食っちゃう姿にはゾクッとさせられる」とか、ほとんどの人にはどうでもいい情報なので、(笑)という哀愁漂う存在だ、とのこと(早速自嘲気味だ)。
 とはいえ、雨宮はAVに深入りしていった。どうして、というのが、これでもかこれでもかと濃厚に記述されていくのだが、一言で言えば、「女をこじらせて」いたから、ということ。雨宮は、女であることに自信がなかった。AVに出ている女たちがまぶしくてたまらなかった。自分もAV女優みたいにキレイでいやらしくて男の心を虜にするような存在になりたかった。AVを観ながら興奮する一方、手が届かな過ぎて苦しくて泣きもした、という。
 どうして「女をこじらせ」ていたのか、コンプレックスをこんなに深く持ってきたのか。中学高校大学のスクールライフまで遡る。「かわいい女」「キレイな女」ではない自分は一体どう生きていけばいいのかわからず、途方にくれていた。底なしに自信がない反面、サブカル好きの「変な人」、あるいはモードの「個性的」キャラに突き進もうとするも、それが女子力検定を無効にしたい戦略に過ぎないことを自分自身痛いほどわかっていて、劣等感を深く抱き続ける。大学卒業後のアルバイトでのバニーガール時代、「男はみんな美人が好きに決まっている」というのはウソで、キビキビ働いている立ち姿がキレイといったことや、オモシロさや変わったキャラがウリになることもわかった。それでも、雨宮は救われない。好かれている女の子はコンプレックスがあっても「私は女の子」という自覚と自信があったが、自分にはそれがないから、と。見た目より内面がダメは絶望的だ、と呻く。うー、何という屈折。読むのが苦しい。
 屈折していることにも十分自覚がある。2ちゃんねる家庭板で「デモデモダッテちゃん」(何を言われても「でも、でも、だって…」と言い訳ばかりしていて行動を起こさない人を指すとのこと)状態、書いているだけで自分でもイライラするような女だといったことを繰り返し書く。
 自分なんて…と強い劣等感を抱きながらも、自分のことをとことん考え抜く。他者との関係にも誠実に考え抜く。純粋でない自分を責める。「恋愛をするということは、汚い自分を引き受けるということです。」「誰よりも何よりも愛しているとか、その人のためなら自分がどうなってもかまわない(中略)、そんなふうに思って、自分の中のもっとも純粋な感情を捧げたつもりでも、そこには必ず自分のみにくい心が染み出ているのです。」「そうでない本当に純粋な愛情を持てる人もいるでしょう。けれど私にはできなくて、いつも汚い自分のことが本当にいやになる。今でもそうです。」ええっ!?引用するだけで気恥ずかしいほどピュア。今どきここまでピュアな恋愛観を活字で読むことはないように思う。
 AVライターとしても真摯に苦悩し続けている有り様を諸々引用したいが、まあ読んでみてください。
 「女性のAVライターって?」と雨宮がこれまた苦しんでいるイロモノ扱いのまなざしをつい私も向けながら本著を手に取ったが、頗る真面目なビルドゥングスロマン、自己形成物語を読了した気持ちだ。
 女子ってこんなに悩むのか、大変そうだなあ。あ?私も女か。こんなに悩んだことなんかないなあ、たぶん。私がオジサンだったら、そのまんま「女って大変だなあ」と受け止めてしまったことだろう(ま、心はオジサンかも)。いや〜女子だからこじらせているというか、女という以外にもライターとしても何の側面でも悩みが尽きないようで、自分探しに全く興味なし、よって悩みなしの私はぼーっと「こじらせているけど、女子だからとかでなくね?」と思ってしまう。そんなに「自分」にこだわって苦しまなくていいのにと思うものの、こういう苦悩を経てこそ「ユリイカ!」という経験もできるのかも(飛躍?)、と薄ら羨ましくもある。
 時々登場する雨宮の両親がとても良いひとたちで、感動する。友だちを裏切ってしょうもない男にひっかかった上、しょうもないとわかりながらもしつこくしてしまう。そんな自分に猛烈な自己嫌悪を感じ、午前3時に両親に電話をした。泣いてしゃべれない雨宮に、母は、大学の卒業に必要な試験前だというのに、「試験げなもういい。母さんが迎えに行くけん、変なことは考えなさんな。母さんもパパも、あんたが生きとるだけでいいけん、何もせんでいい」。貧乏でたいへんな思いをして学費を出してくれ仕送りしていたことも全部チャラにしていいから帰って来いと。ライターになった後も追い詰められ仕事を降り、実家に帰ったときも、その雨宮を父母は何も訊かずにただ休ませてくれたという。そんな父母のおかげで、雨宮はまた少しずつ力がわき、大学を卒業し、仕事にも戻れた。とことん自分を傷つけてしまう雨宮に、こんな優しい両親がいてくれて、良かった。
 最後に「長い自分探しの旅が、ようやく終わった」と締めくくられているが、こう言っちゃなんだが、これは本をまとめるための文句のような気がする。雨宮は苦悩を止めないだろう。死にたくなるときだってまだまだあるかもしれない。でも、少しずつ楽に乗り越えていけるといい。こじらせる女子力が欠如していて「そうそう!」と相槌を打つことができない私であるが、心からそう願っている。(良)
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