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ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会編著『NOヘイト!出版の製造者責任を考える』ころから 2014年

 今を去ることん十年前の大学生時代、書店を歩き回るのが大好きだった。スタイリッシュなライフスタイルを提案する本、哲学の深淵に触れられる本、日常生活を忘れられるファンタジー、途中で投げ出すこともあるものの少しは読んでみたい物理や天文学の本、自分ではつくらないのに好きなエスニック料理、イタリアンやフレンチ、おばんざいetc.のレシピ本などなど…。書店はまさにワンダーランドだった。しかし…。今はむしろ極力足を踏み入れないことにしたいエリアになってしまった。なまじ入り込むと、ずらりと並ぶ排外主義的な「嫌韓本」「嫌中本」「日本万歳本」に、この本も冒頭部分で引用する村上春樹の「安酒の酔い」に酔いしれたい人が相当数いると思い知らされ、苦々しいという言葉では言い尽くせない気持ちになるからだ。
 この本は、出版関係者のグループが、会の名称通り、ヘイト本が氾濫する状況に加担したくない、「愛する書店という空間を、憎しみの言葉であふれさせたくない」という思いでまとめたものである。非常に薄いつくりだが、中身は重い。
 第1章は関東大震災時の朝鮮人虐殺を追った『九月、東京の路上で』の著者加藤直樹氏による講演を基調にしたもの。関東大震災の研究者たちは、震災時の流言と虐殺の背景に、それまでの朝鮮人への蔑視や恐怖を煽ってきたメディアの問題があったと指摘する。では現在は。2013年10月から2014年3月末までの半年分の夕刊フジの見出しをまとめてみると、韓国や中国をネガティブに扱う見出しが実に80%を占める。駅の売店前を通れば、買わなくても目に入る見出しに10日のうち8日は韓国や中国の悪口が書いてあるとしたら…。刷り込まれていくものは確実にあるのではないか。さらに、書店の「ビジネス」コーナーや「国際」コーナーに並ぶ嫌韓嫌中本のタイトルのすさまじさ…。他方、韓国の書店での日本に関連する本のラインアップには、「バカ」「狂気」「心がない」といった嫌韓嫌中本に類したものなどないという。うーむ。「愛国」を高らかに唱える人こそ、日本の書店の惨状を憂うべきではなかろうか。
 出版業界で生計を立てる以上、「思想に奉仕するものではない」、「売れる本を出すのは当然だ」、「出版人としての矜持なんて高邁な話をする余裕はない」という反論もあろう。実際、編者が実施した書店アンケートでは、「売れるものはしかるべきところに置くだけのこと」という回答が少なくない。危惧や恐怖を感じるという回答もある。しかし、需要がある以上、並べるという。
 ところで上記アンケートの回答数はとても少ないが、それでも興味深い回答が随所にある。ヘイト本を購入する客層の中心は、50代以上の男性(週刊誌層)という回答が多い。「若者の右傾化」などというが、まずは事態を的確に把握しないといけない。
 アンケートのひとつの意見に「書店員への倫理的バッシングを強めることは下策です」として、「売れるリベラル本を定期的に出版し続ける」という提案がある。なるほど。良質な本は多数あるが、「売れる」…?そこが難しい。この本のもとになったシンポジウムのディスカッション部分でも「700円の新書に対し3200円のハードカバーで反論するようなことが果たして対抗言論として機能してきたのか」という趣旨の編集者のツイートが紹介されている。しかも後者のハードカバーは初版部数も少なく、地方の書店にはほとんど配本されない。積極的なカウンターのアプローチが模索されている。
 神原元弁護士の論稿「表現の自由と出版関係者の責任」も収められている。同論稿は、ヴォルテールの(といわれる)名言を引用して古典的な表現の自由論の説明から入り、その古典的な自由論がメディアの発達する現代と乖離が激しくなっていることを、丹念に説明してくれるのだが、友人である神原さんの男前な書きぶりについ内輪ウケしてしまう(「かくして」「しかるに」とか書き言葉でも普通言わないでしょっ、と随所でついツッコミを入れる)。いや内輪ウケしている場合ではない。その前までのところでカウンターのリベラルな言論を、と思い始めていたところ、神原さんに「思想の自由市場が現代社会では機能していないのだから、売れる本が正しい本だという仮説は間違いであり、「嘘も繰り返せば人々は信じる」ことは冷酷な事実だ」、「本の思想を問題にしているのではない。思想を支えるためにせよ、虚偽の事実を書くなと言っているのだ」と明言されて、再考し始める(まずはヘイト本も様々なので整理が必要か)。
 ヘイトスピーチ規制の法制化の是非ではなく、どのような法的制度を設けていくべきかを具体的に考える段階に入っているとしたうえで手がかりを提供しようという明戸隆浩氏の論稿「人種差別禁止法とヘイトスピーチ規制の関係を考える」も示唆に富む。
 「あとがきに」の末尾部分にある「そもそも表現の自由は、なぜ尊重されなければならないのか。」という問いに立ち返って考えてみようではないかという切実な呼びかけに、私も共感する。早速、ネット上で「酷評」も寄せられているようだ。しかしそのような反応は折りこみ済みで、なお果敢に本著を世に出したのだろう。その意気込みに敬意を表したい。(良)
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