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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
酒井順子著『本が多すぎる』文春文庫 2014年

 まずタイトルで笑った。私の呻きそのもの。呻きながらも、スピード以上についつい買ってしまう。このままでは死ぬまでに未読の積読本がどんだけ残るのだと嘆きつつ…(なんて言って、このペースを止める気はさらさらない)。
 酒井の文章は「Olive」時代から読んでいる(酒井に対する枕詞)、とはいっても、美容院や銀行での手持無沙汰な時間にそこらにある雑誌の中でふと見かけて目を通す程度のユルさ。そう熱心な読者ではないので、酒井に対する「現代の清少納言」というキャッチフレーズも、正直ピンとこなかった。しかし、本著を読んで、その実力を改めて知った。「鋭利すぎてコワい」というほどではない適度な皮肉。猛毒というほどではない毒のあるユーモア。上野千鶴子や小倉千加子(愛読しているらしい)らフェミニストたちの名前を何気なくひんぱんに登場させ、その言説がもっともなものであることを前提に軽やかに綴っていく。連載の媒体が週刊文春という血気盛んな見出しが躍るオヤジ雑誌ということも考えれば、相当の手練だ。なんと、最後に収録されているエッセイ(2013・11・28)には、ダメ押しのように、上野千鶴子、信田さよ子、北原みのりが「女はケアで男を殺す」ことetc.を語った『毒婦たち』を取り上げ、「女の犯罪には、どこか普遍性があり、そこには現代の家族像のグロテスクさが凝縮されている」、「夫は妻を殴り、殴られた妻は子どもに密着し、密着された子どもは毒婦に殺され…ないにしても、結果的に父親を消滅させようとするという、奇妙な循環が日本の家族にはある」とまとめるのだ。おお、決して「先鋭的なフェミニスト」などと目されないまま、夫や父親が読む週刊文春に脱力系の本やら小説、薀蓄の本etc.の紹介に紛れて書き続けていたのが、凄い。
 そう、こういう感覚、別に「フェミニストですっ」と気合を入れなくても、酒井や私の世代は共有しているんだ、と安心する箇所が随所にある。たとえば、女子マネという、「男子運動部員を陰で支えることによって喜びを覚える一軍の女子たちへの違和感」。安藤美姫の出産や女子柔道選手への暴力問題、結婚しても媚びようとする妻が登場するCMなども取り上げて、女性たちの意識(←女性たちを取り巻く環境といってほしいが)に進んだところもあるが揺り戻しもあることを、うっすらと嘆く。
 私にはないのだが、母と娘の葛藤を描いた本にとても共感しているところも、意外な一面だ(割合そういうドロドロした葛藤に無縁の飄々とした語りがスタイルかと思っていたので)。母と娘はこういうもんだ、と普遍化しているが、そこは毒母ものと同様、ぼけっとした私は「?」というところ。
 ともあれ、ズバズバッと差し挟まれるコメントに、鋭い批評眼を垣間見る。コロンバイン高校襲撃事件後、「全米各地の学校でドッジボールが禁止され、でもその割にはイラクには集中攻撃しているアメリカ」、といった具合に。ドイツ社会の幼児化についての本を読みながら、「小泉前首相や安倍現首相」(当時)の顔を思い浮かべ、「昔の老いた政治家たちの顔が少し懐かしい」と書く。東京オリンピック招致に高揚している人たちへの違和感、気持ち悪さを隠さない(「粉骨砕身の努力をしてかつての東京オリンピックを支えた日本男児」についての本については「ほとんど神話の域に…」などと率直だ)。女性誌から女性読者の典型的な悩みへの答えを問われると、真剣に考えれば考えるほど、「女性誌を読まなければいいのでは」と答えてしまうとか…。確かに、欲望をかきたてる女性誌など読まなければいい。これまた正論だ。
 と、ついフェミニスト的なところに注目してしまったが、それはこの本のごくごく一部。世の中まだまだいろいろな本がある、読みたい読みたいっ(でも追いつかない…)という気にさせられる。たとえば、一流大学を出て大手広告代理店で働いていた女性が歌の勉強をするためNYへ行ったがそこでひょんなことから人を揉む人生になったという『もんでニューヨーク』。「待つ」という行為そのものへの愛情が感じられるという『東京待ち合わせ案内』。「名簿好き」(私はそうではないが)にはたまらない『日本の女性名』。『東京女子高制服図鑑』の森氏によるイラスト付きの『チマ・チョゴリ制服の民族誌』。ミリメシ(戦場での食事)の本によれば、トイレが汚い軍隊は弱い軍でもあるとか。大好きなカフェ・バッハの田口護さんの『カフェを100年、続けるために』も読みたいっ。
 なお、積読に苦しむ人がこの叫びをしたのかと勝手に思い込んだが、そうではないらしい。とある本屋で「本が多すぎる」というオジサンが叫び、その妻らしい人から「本屋なんだから当たり前でしょう」とたしなめられるシーンに遭遇した著者が、後者の言葉にそうそうと思いながらもオジサンにも共感するというくだりがあるので、そこからだろう。積読の山をどうすべきかというハウツー本ではない(当たり前か…)。積読の山に嘆いたふりしてもっともっと読みたいという人(すなわち私みたいな人)にうってつけの本である。(良)
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