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大田昌秀・佐藤優著『沖縄は未来をどう生きるか』岩波書店 2016年

 2016年12月30日付け東京新聞の朝刊の佐藤優による連載「本音のコラム」のタイトルは、「呪われよ」。2015年10月、翁長沖縄県知事が前知事による米軍普天間飛行場の移設に伴う辺野古新基地を建設するための埋め立ての承認を取り消したが,2016年12月20日、最高裁第二小法廷は、知事の判断を違法と結論づけた。このため、知事の取消処分は取り消され、埋め立て承認の効力が確定した。政府と最高裁が結託して新基地建設を推し進めるような態度は、法治国家の瓦解である。佐藤は、中央の植民地主義的かつ差別的な対応に沖縄人のひとりとして怒りに震えながら、「沖縄を差別する者どもは呪われよ」と書く。
 2016年12月21日付け朝日新聞の記事で大田元知事は、最高裁の判断を受けて、「裁判を通じて、本土の人にあまり知られていなかった基地問題を知ってもらえた」、「今回も負けるとわかっていたが、沖縄にとっては意味があった」、沖縄政策が「まるで植民地政策になっている」、「裁判に負けたからと言って、基地問題の解決をあきらめるような余裕は沖縄にはない。これからも精一杯抵抗するしない」と答えている。
 戦後71年、「復帰」から44年、米兵による少女暴行事件から21年。辺野古の海で新基地建設に抵抗する人々を、高江の森にヘリパッド建設工事に反対する人々を、国が強制的に排除する。高江で抗議していた芥川賞作家の目取真俊さんに、まだあどけなさも残る機動隊員が「どこつかんどんじゃボケ。土人が」と罵った。さらに、「黙れシナ人」との暴言映像もSNS上流れた。「土人」発言を差別と断じることはできないとした鶴保庸介沖縄・北方担当大臣の国会答弁につき謝罪したり撤回訂正したりする必要はない、との答弁書が閣議決定された(2016年11月18日)。そして、上記の通り、知事の上告を弁論も開かずに棄却した最高裁第二小法廷の判断(同年12月20日)。いったいこれはどういうことだ。沖縄に対する日本国家の暴力の根底に、沖縄に対する構造的差別があることを直視せざるを得ない。本著に収められた2人の対談は、冒頭に引用した2人のコメントの行間に濃縮された沖縄に対する構造的差別の様相を、歴史をさかのぼってつぶさに明らかにしていく。
 鉄血勤皇隊として沖縄戦を経験した大田元沖縄県知事は佐藤優にとって、特別の人だ。母は大田と同じ久米島出身で、5歳上の大田が学業素行両面の最優秀者として毎年国民学校から大学ノート2冊を与えられているのが羨ましかった、というほど近しい。沖縄戦中、陸軍第六二師団の軍属に採用された佐藤の母は首里からの撤退中、痩せこけた「昌秀兄さん」(大田)に会う。軍属なので携行していた食料を分けたかったが日本兵からなんと言われるかと思っているうちにはぐれてしまう。「昌秀兄さん」に悪いことをした、と母は後悔し続けた。冒頭のこのくだりは、2人の間に特別なつながりがあることだけではなく、日本によって沖縄の人々が自己決定と連帯を損なわれていたことをも示唆する。
 大田が沖縄の日本「復帰」に賛成した理由は何か。「平和憲法の下に帰る」というかけ声があっても、既に自衛隊が誕生し憲法が空洞化をはじめたことを知らなかったわけではない。しかし、沖縄戦を辛うじて生きながらえた女性たちが(生き残ったのは女性たちが多かった)、夫や父親を亡くし、育児や介護を担うほか、社会の復興の負担まで担わざるを得なかった実情を目の当たりにして、「復帰」を望むほかなかったのだ。米軍占領下で、日本国憲法もアメリカの憲法も適用されず、高齢化が進んでいく中、医療、年金etc.何らの保障もない。人間らしく生きるための法的保護が必要不可欠であったのだ。しかし、ハワイに移住した沖縄出身者に、復帰後の沖縄の未来は「日米両軍隊の共同管理下に置かれたも同然の、軍事的植民地という最悪の事態に陥るに違いない」と予言されて、憂鬱にもなる。その予言はあたってしまったと苦い思いで思い出すのだ、と。
 「基地のない平和な沖縄の創出」という大田の願いは、第2章と第3章を読めば、夢物語ではなく具体的な可能性を秘めているように思えてくる。現実に非武装中立の島がある(オーランド島)。海洋資源の活用。沖縄出身者を外務省、防衛省、警察庁に送り込む。いわば、「壁の向こう」に仲間たちを送り込む。なんと、大田は、知事時代、ホワイトハウスの安全保障担当官と会う約束をして途中まで行った際に、在米日本大使館員から会見の取り消しが連絡されてしまったことがある。日本大使館側は、沖縄側に立つことをしないのだ。官僚だった佐藤は再三にわたり、したたかな権力に勝つためには、正義闘争にとらわれ、満点だけを追求するな、「権力の文法」をみにつけ、したたかに闘うべきだと説く。なるほど。沖縄以外の局面でもあてはまるだろう。
 第5章も衝撃的な話が続く。戦時中日本軍は、沖縄の人々を「スパイ」と見なすなど不信感を抱いていた。植民地扱いは、今に続いている。日本国内であるにもかかわらず、外国の日本大使館と同様、外務省の沖縄事務所から東京の本省へ暗号電報を用いて連絡しているのだ。植民地扱いの果てには何があるのか。久米島で、日本軍は食料や物質の拠出を要求し、根拠薄弱なスパイ容疑で住民を虐殺した、と佐藤はいう。「植民地」として異質で下位にあるかのように見下すことが、悲劇につながる。ここで、前述の「土人」「シナ人」と吐きつけるように言った若い機動隊員たちを想起しないわけにいかない。彼らを個人非難していれば済む話ではない。抗議する人々が中国の「スパイ」であるかのような噂も執拗に流れる。戦時中沖縄を本土防衛の「捨て石」として扱った挙げ句地元住民にスパイがいるという根も葉もない噂が頻繁に流された戦時中と、現在がさほど異なっていないことに、愕然とせざるを得ない。
 「従軍慰安婦」について実証性に基づいた研究が蓄積されてきたにもかかわらず、「ウソも100回言えばほんとうになる」かのごとき「歴史戦」なる言説が猛威をふるっているが、第6章によれば、沖縄攻撃も同様の様相である。なんたることだろう。
 民主党政権時代の2010年の対談(第8章)で、佐藤は、偏差値秀才型の政治家は歴史を勉強していない、圧倒的に構造的に不利な立ち場に置かれていることを理解しているのだろうか、と心配し、大田は、民主党がつまずくようなことがあればバックラッシュで、より右寄りの一大連立が起きかねないと懸念を表明する。読みながら、彼らの予感が的中してしまったと嘆息するばかり…。
 第9章で、小林よしのりらの言説を取り上げる中で、大田は、彼らが最初から「基地ありき」の発想に基づいていること、さらに沖縄の人たちが「被害者意識に囚われている」などと言い立てるが実際に被害を受けている者がその事実関係を指摘して改善を求めることは「被害者意識」ではないのにごちゃまぜにしていることを指摘する。確かに!フィリピンは米軍基地撤去を実現した。「基地ありき」以外の可能性はある。佐藤も、「対案を出せ」という発想は根本的に間違っている、沖縄は「基地をなくせ、安全保障もちゃんと担保しろ」と要求すればいいのだと。確かに!安全保障は国家が考えるのだ。安全保障を考えろというならば、独立を付与すべき、ということになる。
 第10章で、佐藤は、ポツダム宣言受諾によって、日本の国体は日米軍事同盟になったといい豊下楢彦の見解を紹介し、沖縄を捨て石にした太平洋戦争における作戦と、沖縄をアメリカの施政権下に置いている政策はつながっていると指摘する。とすれば、日本国家というものをどう考えていくかを考え直すことで、沖縄の基地負担の軽減の道はひらけるはずである。しかし、第11章で触れられるように、衆参合わせて722人の国会議員のうち、沖縄選出は9人。多数決原理の民主主義の名のもとに、沖縄は差別され、基地問題は解決されない。「日米安保は国益に叶う」等といいながら、沖縄にだけ負担させて平然とする感性は何なのか、と大田は概観する。第13章で,佐藤はこんな比喩をいう。学級会で「沖縄君が便所掃除を2週間やることについてどう思いますか」。沖縄君以外全員賛成。沖縄君だけ反対。これは差別でなくてなんだろうか。沖縄は今後も理不尽な支配を受け続けるのが当然なのか。そんなはずはない。
 佐藤は、第1章で、沖縄というよりは島に帰属意識を持つ者が多いという。しかし、今や、沖縄という帰属意識が生まれている。まず沖縄を意識した契機は、1995年の米兵による少女暴行事件である。その後2007年の「集団自決」に関わる教科書検定。そして新基地建設。超えがたい壁ができてしまっているのにそれを認めず共存の道を探さないのであれば、沖縄は離れていく。東京の新聞記者は、官僚と同質化していて、沖縄タイムスと琉球新報からの情報がバイ菌、異質なもののようにとらえてしまう。異なる情報環境は、「民族が生まれる初期形態」だと佐藤は指摘する(第12章)。最終章の第13章では、日本の沖縄政策が構造的差別政策だと認識した沖縄の人々が、安保、経済、さらに人権の問題など、まさに未来をどう生きるかを見据えだしている状況にあることが語られる。
 日本政府と沖縄の対立は深刻化している。沖縄に基地があることは、決して自明ではない。「沖縄は未来をどう生きるのか」というタイトルに、沖縄がいつまでも「中央の植民地」に甘んじず自己決定を模索する意気込みが示されている。この沖縄をいつまでも差別し恫喝しあるいは無視するのか。あるいは沖縄を差別せずに基地を沖縄だけではなく日本の問題として、「日本は未来をどう生きるか」という問いかけとして引き受けるのか。本土の人間に問いが突きつけられている。(良)
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