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吉岡隆編著『援助職援助論 援助職が〈私〉を語るということ』明石書店 2009年

 人を助ける仕事,援助職。援助職援助論とは,人を助けてバーンアウトしそうな援助職に手を差し伸べるということ?あるいは,セルフケアマネジメントを教えてくれるお手軽な実用本?いや違う。本著では,様々なアプローチで人を援助する仕事に関わっている人たちが,自分自身を,痛みや葛藤にも目をそむけずふりかえり,語る。
 援助職が自分を語る?何か不思議だ。そんなことは少ないからだ。自分の弱さをさらけ出すと,相談・治療関係が成り立たなくなるのではないかという懸念があるから,援助職は自分を語らない。確かに,状況等にもより,むやみに自分を語ればいいというものでもないが,自分を語ることで,クライアントと対等な関係になり,信頼関係を築けるのではないか,と吉岡隆は指摘する。
 第1部は編著者でソーシャルワーカーである吉岡による,第2部は,吉岡に共鳴した援助職(ソーシャルワーカー,臨床心理士,精神科医,表現アートセラピスト,母子・女性相談員)9名による,〈自分〉語りが収められている。語り手である援助者の,そして,個々の援助者が出会ったクライアントたちは,苛酷な経験をして,それでも出会い,学びをきっかけに,生への希望を見出していく。
 印象に残るエピソードは尽きない。たとえば,精神障害という病気から回復したい人たちの相互援助グループ。オブザーバーとして参加していた吉岡は,興味深いことに気づく。「再発したらどうしよう」といつも恐れていたメンバーが再発し,「再発したらそのときだ」と言っていたメンバーが再発しなかったという。そのこと以外にも,開き直りが実は回復の鍵だということがいくつもあったという。開き直るというと語感は悪いが,そこに自分の人生に責任を持つ,問題に向き合うという意味もこめることもできる。
 児童相談所に勤務していたときに担当するケース数の多さに圧倒され,また「統計ノイローゼ」になったという吉岡の述懐には,児童福祉司の苛酷な仕事ぶりを垣間見た私にとって,リアリティがある。事件数が多数になっていると,「生死にかかわるケース」を最優先しなければならない。保護すべきかどうかの判断は自分にかかってくる。大丈夫だと家庭に戻した子どもが,再び虐待を受け殺害されてしまったこともあるという。この判断ミスは,一生忘れることができない。マスコミなど突如児童相談所を非難したりするときがあるが,非難されても非難されなくても,担当者は重い十字架を背負う。しかし,オーバーワークを放置し,児相をその場限りで非難しても問題の解決にはならない。
 父親が母親に暴力をふるっていた家庭で子どもたちの心身にどれほど深刻な影響を及ぼすかが様々なエピソードの随所で具体的に記述され,胸が痛くなる。たとえば,蹲踞(ひざを開いて深く曲げ,かかとをあげた状態でまっすぐにすること)の姿勢でそばを食べる少年。アルコール中毒の父親は日常的に母親の髪をつかんで部屋中を引きずり回したり殴ったり蹴ったりした。少年がいつでも逃げられる異様な態勢で食事をとるのも,日常だった。家庭内暴力や強迫症状は,少年なりのSOSだと理解される。その他,子どもの問題行動そのものが「問題」ではなく,親のDVなど別の問題に対する子どものSOSサインであることが様々なケースからわかる。ところが,本人・家族の順で回復が遅い(さらに,家族よりもさらに援助者のほうが遅い,いや援助者は回復しないとの指摘もある)。父のもとを避難した後明るくなる母子もいるが,母がうつになったり,子どもが抑えてきた感情を爆発させることもある。精神的に不安定なところに,経済的な困窮も追い打ちをかける。父から虐待を受けた女性が感情を麻痺したまま成長し,子どもを産んだが虐待してしまう例もある。
 アルコール中毒の治療の初期には,「提案」ではなく「強要」が必要であるとか,アルコール中毒の凄まじい症状を「その人の人生」と思っていたが,あるとき「なんだ病気なんだ」と実感できたとか。寿ドヤ街で尊敬され慕われていると思い込んでいたら「よそ者に何ができるか」と叱責されて愕然としたが,そのひとことで自分の中に寿の人たちへの優越感を隠し持っていたことに気づいたひともいる。援助職も様々な経験の中で成長していく。
 〈自分〉語りとはいっても〈自分〉とは社会の中にある。そこで,たとえば福祉のジェンダー問題などの指摘もある。たとえば,医療機関のソーシャルワーカーには,女性が多い。そのことと低賃金とは無関係ではないとの指摘がある。福祉労働のジェンダー問題も研究がなされているという。
 みな,謙虚だ。援助したいという気持ちは,コントロールしたいということだ。優越感を抱いていることだ。「この人たちを何とかしなければ」と「良くない思い込み」が自分の中にあることに手を焼く。などと,口々に自分を責め続ける。学校の先生たちが,使命感が強く自責的であることに言及があるが,援助職である執筆陣も自分に対する批判が強い。しかし,〈自分〉を語る執筆陣は,他者に援助を求めるのは援助職として失格だとは思わないで済むかもしれない。自責の念を軽減できるだろう。
 援助は援助職が自分自身を援助することから始まるのだということ,それにより学びを深め,他者への関わりを前進したいということ…。率直にいって,「当事者研究」など,殊更〈私〉を語るのは苦手だ。なぜか恥ずかしくなってしまう。しかし,祈りといってもいいほどの切実な強い想いに打たれ,ところどころで涙した。セルフケアのノウハウ本ではないが,もっと深いところで壁にぶちあたっている援助職にとっては,大切にしたい一冊となろう。しかしまだ私自身は,「援助はまず自分自身を援助することから」ということが腑に落ちてはいない。プロはタフでなくてはという思い込みがまだ強い。まだ本当には壁にぶち当たっていないからなのか…。(良)
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