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加賀乙彦・津村節子『加賀乙彦と津村節子の対話 愛する伴侶を失って』集英社 2013年

 ともに愛する伴侶を失った加賀乙彦と津村節子が、穏やかに、故人との出会い、共に生きた歳月、伴侶を失ったときの想いとその後を語り合う。
 癌との苦しい闘いの末、最後には自分で点滴の管のつなぎ目を外した吉村昭。他方、加賀の妻は、翌日の旅行に向け準備しているようなときに、自分も周囲も全く予想しないほど突然くも膜下出血で亡くなった。愛しい家族が長患いして亡くなるのと突然亡くなるのと、違いはあれ、残された者にとっては、どちらも辛いことである。
 津村の娘は、「お母さんは、お父さんが死なないと思ってた」と言う。吉村がかなり悪くなっても、津村は仕事ばかりしていたという。お父さんが本当に死ぬと思っていたら、あんなに仕事はしないだろう、お父さんが死なないとお母さんが信じていたことが、お母さんがお父さんにしてあげた一番いいことだ。お母さんが「いつ死ぬか、いつ死ぬか」と切羽詰まった感じだったら、お父さんは感じ取った、でもお母さんはそんなふうに見えなかったから、お父さんもそうは思わなかった、それはよかった、と。しかし、津村はそうは思えない。仕事をしている女房はもう最悪だ、吉村の最期を介護できなかった悔いがずっと残っている。そう語る津村に、加賀は、吉村は津村がいつもと同じように仕事をすることを望んでいたとは思いませんかというが、津村は否定し、吉村はずっとそばについてほしかったはずだ、取り返しのつかない悔いが残っていると繰り返す。娘や加賀の言葉は、津村を慰めることができない。
 以前の私だったら、ここで、津村は所詮何十年も一心にしてきた自分の仕事を夫に付き添うことよりも従たるものに見なしてしまうんだなあ、それって夫より従たる存在として自認していること??旧い女?などと、簡単に思ったかもしれない。でも、母を喪った今は、津村の悔いをリアルに感じ取れる。母の生前、殊更長い時間母に付き添うともう死期が近いと思っている印象を与えてしまうような気がして、十分に付き添うことをしなかった。今ではそのことを悔やんでも悔やみきれない。いろいろな慰めも、私自身には効かない。くさびのようにささった悔いは消えることがない。
 津村も、生前の吉村も、死んだら無になると考えている。私もそうだ。しかし、カトリックの加賀は、死後亡き妻に会えると思っている。津村はどうしてもそう思えないと言うが、加賀は、パスカルの言葉をひいて、「(あちらの世界は)あるかどうかわからない。わからないけれども、あるということに賭けなさい」と言う。無限に賭けた方が神に近づく。1、2、3という有限な数字に賭けた人は、実につまらない人生を終える。だから、無限に賭けなさい、そうすれば死後天国がある。賭けない人はそこで終わってしまって、そのまま死後の世界はない。賭けた人は無限につながっているから、いつまでも生き続ける。あるとも証明できない、ないとも証明できない、だからあると思った方がいい、賭けなさい。そう説かれても、そう思えた方が幸福だともわかっていても、津村は「どうしてもそう思えない、いつかあの世で会えるとは思えない、だからいくら悔やんでも取り返しのつかない永遠の別れになってしまっている」と嘆く。ここでも、津村の気持ちがよくわかる。信じられたほうが幸福とわかっていても、信じられない。
 かけがえのない家族との大切な時間を思い出す。その人の不在を深く深く悲しむ。そして、取り返しのつかないことをしたと悔やむ。そんな経験をした人に、本著は、深く心に染み入るはずだ。(良)
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