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矢野久美子『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』中公新書 2014年

 全体主義がもたらすカタストロフ。
 アウシュヴィッツのウワサを聴いたとき、アーレントも最初は信じなかったという。何でもやりかねないナチスだが、軍事的必要性にも反する絶滅収容所などありえない、と。しかし、恐ろしい証拠がつきつけられたとき、「あたかも奈落の底が開いたような経験」をした。人間による人間の無用化。人間の尊厳の崩壊。理解を絶することであり、その事態を直視することは、地獄を見るようなものであった。まさに自分も収容所に入れられ、非合法に出国し、敬愛する知人友人たちがナチに迎合し、あるいはナチに殺される、という経験をしたアーレントにとって、数十年前の恐るべき出来事として振り返る私たち以上に、生生しいことだったはずだ。その背景(著書のタイトルについて『全体主義の起源』ではなく『全体主義の諸要素』とすべきであったと後悔していたという)を探っていくことは、あまりにも重く、圧倒的なことだったろう。しかし、強靭なハンナ・アーレントは考え抜いた。彼女は、「理解することは、生きることの人間的なあり方である」、「この理解の過程を切り詰めてはならない」と書いたという。理解を絶することだからこそ、理解すべきなのである。その現実を手放しにすべきではないのだから。行為者は、人間として選択ができ、動くことができ、別の可能性もありえたのだ。諸要素が再び全体主義へと結晶化する以前に、人びとに思考と抵抗を促す、そのための理解の試み。多くの非難を巻き起こしてもなお、ナチズムやスターリニズムの終焉後も生き残りうる全体主義的な解決法(政治(=市民たちが法律に守られながら公の場で語り行為するということ、人びとが複数で共存すること)の消滅)に対して警告を発し続けた。
 彼女がどんな暗い時代を生き抜いたのか、そして理解しようと考え続けたのか、彼女の周囲の人たちもまたどのように生き抜いたのか、この薄い新書の中に見事に凝縮されている。
 1933年、反体制派やユダヤ人が公職から追放される中、ハイデガーがフライブルク大学総長に就任し、ナチ党に入党。ハイデガーの前任の同大学教授だったフッサールは大学構内出入禁止となる。ナチの均制化強制同質化政策は、アーレントにとって、友人たちがナチに合わせたことを意味した。まだ選択の余地があった段階で、とりわけ知識人の友人たちがナチに迎合していった。「あたかも虚ろな空間が身のまわりを包んだ」ようだったとアーレントは語ったという。以来、アカデミズムのような「グロテスクな」世界とかかわるまいと考えた、とも。ハイデガーからの求愛を受け入れた時期のあるアーレントの失望はどんなに深かったことだろう。
 アメリカで論争的エッセイストとして頭角を現し、発表した論稿には様々な批判を浴びせられたが、『イェルサレムのアイヒマン』への非難はそれまでには経験したことがない激しさであったという。非難は主として、アーレントがユダヤ評議会のナチ協力にふれた点、ドイツ人の対ナチ抵抗運動は、ユダヤ人への関心や道徳的な怒りから出たものではないと述べた点、さらには、アイヒマンを怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男と叙述した点に向けられた。紋切型の文句の官僚用語を繰り返すアイヒマンの無思考性、悪の凡庸さの指摘は、ナチを禁止することだけでは全体主義の再来を止められない社会への重要な示唆を与えてくれる。ところが、アーレントの見方は、犯罪者の責任を軽くし、被害者であるユダヤ人を共犯者に仕立て上げ、抵抗運動の価値を貶めるものと、実際には全く読んでいない大量の人々も含む組織的キャンペーンで攻撃を受けることになった。今でいう、「炎上」どころではない激しい攻撃であった。アーレントは、キャンペーンよりも、親しい友人から絶縁されたことに、深く傷ついたという。そのような中でも、親身になって彼女を支えたヤスパースらや、彼女を大喝采で迎えた大勢の学生がいた。彼らの存在は、やはり救いであったようだ。激しい非難を受けても、なお独裁体制下における個人の責任、道徳性や思考と悪をめぐる問題、さらには、論争の中で浮かび上がってきた真理と政治の関係について、考え続け理解しようとしたのは、少数であっても、支え、救いがあったからこそだろう。
 タフだが、友人らに誠実に関わる。スペインへの国境を渡ることができずフランス側に引渡されることを知って大量のモルヒネを飲んで自死したベンヤミンの原稿がアメリカで出版されるように心を砕く。さらに、ベンヤミンらの著作だけでなく、彼らの「生きた声と身振り」、「もっと儚いもの、しかし同時にもっとも偉大なもの」を世界に残そうとして、『暗い時代の人々』を書き記す。ヤスパースの追悼の辞にこめられたアーレントの思いが私にも響く。その人が生きた声と身振りをもって語っているという確かさこそ、本に書かれていることは現実だったと保証してくれる、けれども、本が生きられた人生だったという単純な事実は忘れられてしまう危険にさらされている、死者との交わりのなかで生じる追憶により、私たちは学ばなければならないのだ、と。
 率直に言って、大学でハンナ・アーレントの著作を読んだときの印象は薄い。退屈な課題図書であった。しかし、アーレントが、どんな時代を生き抜いて、どんな切実さで思索を深めて行ったのかを思うと、今なら読み取ることができるかもしれない、「生きられた人生」を理解できる今ならば、と。あるいは、それだけではなく、「政治の消滅」という言葉に切迫感を抱かざるを得ない状況にあるからかもしれない。「虚ろな空間」に包まれる前に、選択の余地があるうちに、思考を停止することなく、行動を続けなければ。(良)
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