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池谷孝司著『スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか』幻冬舎 2015年

 学校現場で、教師が教え子に「わいせつ行為」(性暴力と言ってほしいが)をすることなど、許されていいはずがない。しかし、実際には権力を持っていることに無自覚なまま悪用する加害教師たちがいる。子どもは権力を持っている教師(やさぐれたしょぼい中年に過ぎなくても、権力は相対的であり、教え子には教師は権力者である)に、子どもは「ノー」となかなかいえない(だからこそ加害者は性暴力をふるう)。そのためなかなか発覚しない。発覚しても、学校や教育委員会は隠ぺいしようとする。こんな理不尽なことがあっていいのか。その怒りに突き動かされて丹念に被害者、さらには加害者を取材した本である。
 スクールセクハラの事件を担当してきた弁護士として、本著が描き出す性暴力が起こりやすい学校の構造的問題(児童生徒より教師、子どもより大人、女より男といった上下関係etc.)、学校や教育委員会側の事なかれ主義体質など、直面してきた。上下関係を利用して加害行為を行っていながら、「対等な恋愛関係だった」と都合よく認識している加害者にも出会ってきた。問題が発覚しようとも加害者はなかなか処分されず、被害者は長く深刻な影響に苦しむ。ただでさえ性暴力の被害に苦しむ被害者は周囲から必ずしも同情されない。それどころか、むしろ「熱心な先生を貶めるなんて」と中傷されるなど二次被害を受けることすら珍しくない。本著に描き出される状況は私にとってはリアルであるが、「衝撃」をもって受け止められているとしたら、本著はこのような状況を知らなかったひとたちにスクールセクハラの実情を知らせ、それを変えるアクションを起こさねばという意識を喚起することになるのではと期待する。
 と、とても意義のある本だとお勧めしたい反面、率直に言うと、ひっかかるところがある。過去に被害を受けた女性が「まだ男性とキスすらしたことがなかった」と打ち明けられる冒頭ですでに、違和感を抱く。キスすらしたことがないとかあるとか、性体験があるとかないとかで、被害者にとって性暴力の深刻さは変わるだろうか。著者は実際に女性から打ち明けられたまま、悪気なく書いているだけだろう。しかし、性暴力の被害者側の事件を担当し、裁判官や加害者側の代理人から被害者の性体験が問題にされることに直面し、それ自体が二次被害であると主張しても一向に改善されない苦い経験をしていることもあって、このようなところで男性との交際経験の有無など強調されたくはないと苦々しく思う。そして、表紙にも強い違和感を抱く。スタイルの良い、可憐そうな、制服姿らしい長髪の女の子の後ろ姿。「こんな可憐な女の子が被害に遭うなんて…」という上から目線を持つよういざなわれている気がする。しかし、この視線は危ういのではないか。「母子家庭で健気にやっている子どもを気にかけているうちにそれが恋愛に変わった」などという加害教師たちの「上から目線」とうっすらと共通点があるような気がしてならない。被害者側の視点に立ってほしいという本なのだから、被害者からみた視界、すなわち、その支配に抗しがたい男性教師の後ろ姿を表紙にしてほしかった(見たくはないが、見たくない性暴力の実情がテーマなのだから、やむを得ないはずだ)。
 そのように違和感をぬぐえないものの、多くの人にスクールセクハラへの問題意識をもってもらう意義のある労作である。(良)
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