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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
金井美恵子著『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』朝日新聞出版 2013年

 愛読してやまない金井美恵子の連載エッセイ、本著には2011年6月号から2013年5月号までの分が収録されている。次々と取り上げられるのは、2011年3月の原発事故をめぐる言説である。原発事故以前から、大上段に構えた言説、マッチョな言説、浮ついた言説を嫌悪してきた金井は、原発事故後まさに爆発したともいうべきそれらの言説をクールにクリティークしていく。想定してしなかった事態に動揺した(などという決めつけ自体を金井は嫌うだろうが)あの状況で、かくも冷静で透明な眼を失わなかった人は少ないのではないか。例によって時には果てしなく脱線していく…ようでいて、しっかりと計算をして収める、その手さばきにも、感嘆する。
 対象とされるのは、原子力ムラの住民たちの言説といった、ありきたりの攻撃対象ではない。むしろそれらを攻撃する言説だ。たとえば、朝日新聞編集委員が2011年3月31日に「言葉の力に日々驚き励まされる」とはじめる「記者有論」。編集委員は、選抜高校野球の選手宣誓の「生かされている命に感謝し全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」を称え、「天皇陛下のメッセージ」中の「これからも皆が相携え、いたわりあって、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています」を「誓いであり、祈りである。短くて平易であたたかく強い言葉が心にしみてくる」と書く一方、菅直人首相(当時)の「果たしてこの危機を私たち日本人が乗り越えていくことができるかどうか、それが一人一人、すべての日本人に問われていると、このように思います」については、「誓いでも祈りでもないこれは、問いかけなのか?何かの問題設定なのか?ちっともわからない」と切り捨てる。「ジャーナリスト」(金井はあえて皮肉をこめてこう呼ぶ)は、首相の言葉の何がそんなに不満で、「ちっともわからない」と幼児のような言葉づかいで語るのか、首相の言いぐさは、ほぼほとんどの記事の結語とそっくり同じ文章でできていることへの(多分、無意識の)気恥ずかしさの含まれた苛立ちのせいだろうか、と、大災害時下で沸き起こるように繁盛するジャーナリスト、通俗批評家が便利に常用する結語の決まり文句を取り上げる。
 このような調子で、冷徹な眼差しを、様々な言説に向けていく。たとえば、「ジョン・スタインベックの小説『怒りの葡萄』が好きだ」として、「ずっと心を離れない」場面から、「女たちも子供たちも、どんな不幸だって、男たちさえしゃんとしているなら、けっして耐えられないほど大きくはないということを心の奥の深いところで知っているのだ」、「困難に直面したとき、『大黒柱』『リーダー』の姿勢がどれほど周囲を安心させたり、逆に不安にさせたりするものか」と続ける(点線は金井)、2011年3月21日の毎日新聞の記者によるコラム欄「発信箱」。あるいは、「先の戦争」(金井はすかさず、保守系おやじ論客の愛用する第二次世界大戦を「先の戦争」と呼ぶ習わしを無自覚に踏襲する言語感覚を指摘する)の後の文学者の戦争責任とパラレルに「文学者の原発責任」に言及する、斉藤美奈子による2011年4月27日に朝日新聞に載せた文芸時評については、「ロラン・バルトが、ファシズムについて、それが本当に恐ろしいのは、何かについての沈黙を強いることではなく、何かについて語ることを強いることだ、と書いていることが思い出されるではないか」としめくくる。萩尾望都の「プルート婦人」、そしてそれを「絶世の美女」(金井は不謹慎なことに新聞紙上で絵を見て吹き出した)と称えピントのずれた美女観を披露する斉藤環については、他の言説についても、「思索型ヤンキーとでもいったハイテンションの躁状態で祈る」、感傷的で多少の調査不足を少しも恐れないで書かれている、とする。中井久夫の『災害がほんとうに襲った時』についても、人々の秩序正しさをやや強引に賛美していることを見逃さない。2011年3月の原発事故以前から金井が取り上げることの多かった高橋源一郎や島田雅彦の粗雑で感傷的な言説もやはり俎上に載せる。さらに、和合亮一、池澤夏樹、ドナルド・キーン、柄谷行人…。
 ウサマ・ビンラディン殺害計画の暗号名が「ジェロニモ」と命名されたこと(日本のメディアではほとんど注目されなかった)についての批判にも唸る。
 2011年、「ことばの戒厳令」下であったと高橋源一郎はいうが、ホットな興奮状態(私も興奮していた一人であることを打ち明ける)で、「ジャーナリスト」、アーティスト、批評家誰もが、粗雑で幼稚な(相田みつを的な)言説を発していたことの、冷静な記録であり、批評である。(良)
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