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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
山口祐二郎『奴らを通すな!ヘイトスピーチへのクロスカウンター』ころから 2013年

 著者が新右翼の組織に属した2007年1月、在特会が結成された。当時既に著書はネット右翼が人種差別的なことを書き込むのに気づき、不愉快だったが、「便所の落書き」みたいなもの、現代の日本でそんなあからさまな差別をする人間が増加するわけがないと楽観視していたという。ところが、事態は悪化していく。著者は、歌舞伎町のホストを経て、新右翼団体の「素晴らしい先輩たち」から「多くを学んだ」が「学べば学ぶほど直接行動をしなければ」と焦り、防衛省の正門から火炎瓶を投げ込み、短刀をもって敷地内に乱入し、「あっけなく」逮捕され、4ヶ月後に東京拘置所を出たという経験を持つ(この事件も、2007年)。釈放後、仲間だった奴が1人、2人と抜けて、在特会とともに活動を始めていたことに気づく。日の丸を持って外国人を罵倒する奴ら、「日の丸をそんなふうに使う奴」が許せない。「真の愛国者」ではない。しかし、著者は、何をしていいかわからなかった、と後悔も随所で口にする。著者の文字通り「体当たり」の反差別運動に圧倒されるが、それでもなお、本著は、「やってきた」ことだけでなく、「やらなかった」ことの記録でもあるという。
 様々な酷い差別事件の記述に、胸が重くなる。2009年、名古屋での在日コリアン青年逮捕事件。警察官たちは、差別、嘲笑を放置し、それに抗議し必死に訴えるコリアン青年にむしろ「落ち着け」と言い放ち、取り押さえ連行までした。その映像が「粗暴な朝鮮人」という説明付きで拡散される。そのほか、2007年の中学生だったフィリピン人の少女への罵倒、2009年の京都朝鮮第一初級学校の子どもたちが授業を受けている時間帯での拡声器を使った大音量での「抗議街宣」。執行猶予中で何もできない著者の感じた怒り、読者である私も共有する。
 もっとも、ひたすら本を読んで「ヘイトスピーチ、許さない」と憤っているだけの私には、これだけの「現場」感覚は持てるはずもない。著者は、在特会の幹部とも飲み、その「デモ」にも誘われる一方、カウンター側にも参加を誘われもした。どちらの側にも、「正統派右翼」からの流れがあり、仲間がいるのだ。「仲間」が実際にいると、「どう接していいかわからない」「明確な態度を取れない」ことになりがちだというのも、よくわかる。どんな人間関係でも同調圧力があり、仲間に対して明確に反対していくのは、難しいものだろう。しかし、著者が素晴らしいのは、直接の知り合いたちに明確に反対を伝えることにしたことだ。2010年1月、著者は、両者に誘われて参加を見送った街宣の終盤で起きた新宿スプレー事件等を機に、カウンター側へと傾斜していく。この事件は、ヘイトデモに抗議した高校生にデモ隊が罵詈雑言を吐き、激しいつかみ合いになった挙句、高校生が護身用に持っていた催涙スプレーで反撃したところ、傷害容疑で逮捕されたというもの。死ね殺せと叫んでいたレイシストにはおとがめなし。高校生は釈放されたが、レイシストが高校を晒し、学校にまで押しかけるなどして、退学処分になってしまった。著者は、かつての友人に「高校生の人生を狂わせて何が愛国活動だよ」と責めたが、自分が現場にいなかったことを恥じ、カウンターの現場に出て行く。
 カウンターの実践活動をする右翼は、著者だけではない。右翼陣営からのカウンターに、在特会も驚いたらしい。在特会会員でミリタリーオタクの差別主義者主催のイベントなど私自身は決して足を踏み入れたくないが、「理論理屈じゃなく、実力行使で在特会を黙らせる、ありとあらゆるところから活動資金を引っ張ってくる、やられたらやり返すを行動の基本とする」、右翼団体ナショナルフロントの面々と著者は乗り込んでいき、「何とか言えこら」「二度とふざけたことするな」等と追い詰める。2010年の既存右翼と在特会などと確執をテーマにしたイベント(「右翼VSウヨク」)の記録も手に汗を握る。いきなりパソコンを開き、ニコニコ放送などで「右翼怖―い」と著者らを誹謗中傷するレイシストたちのありさまも、本著を読まなければ知らなかった。鈴木邦夫さんら、右翼に対して、「左翼を叩き出せ!帰れ!」とののしる意味不明さ。なんと不毛な見世物。案の定、イベントの動画がネットでアップされたが、関係各所に乗り込み、抗議する著者のバイタリティに感嘆する。
 政治的信条を超えて、熱い。熱い男同士、共鳴し合う(全体として、マッチョな空気感がある)。2010年12月、渋谷でのレイシストのデモに在日コリアンのイケメン青年が立ちふさがる。非暴力の抗議だったが、偶然デモの一人を投げるような形になってしまった。青年はレイシストたちに袋叩きにされたが、青年だけが2泊3日留置されてしまう。「単身突撃」という姿に、著者らアンチ在特会の既存右翼の人間は痺れる。政治的信条は全く相容れないが、だからこそ、「俺の心に火をつけた」と著者は書く。このあたりに「男気」を感じる。
 レイシストたちの矛先が、被差別部落出身者や生活保護受給者、脱原発運動にも向けられていく過程も記録される。その時期に脱原発ハンガーストライキをしていたり、新たな組織を立ち上げたりして何かと忙しかったために、レイシストの運動に明確にNOを突き付けなかったことへの悔恨とともに。かつての仲間だろうと、「愛国」とは何ら関係のない差別行動を阻止することこそ、真の友情だと自分に言い聞かせる。真の愛国者だからこそ、民族差別を許さなかった右翼の先輩たちへの尊敬が吐露される。本著は、一人の少年が成長していく過程を追うビルドゥングスロマンという趣すらある。
 デモ隊とつばをかけ合うことすらある。ガンガン中指を突き立ててレイシストたちを口汚くののしる。取っ組み合いもする。「山口は死ね!」と個人攻撃されれば、「お前が死ね!」と言い返す。多くの人々にとって、子どもの口喧嘩と思われるかもしれないが、それでいい、デモ隊の意識が俺たちに向けば向くほど、差別的なシュプレヒコールを1回でも減らせる、在日コリアンがターゲットにされないで済む、意味不明なデモがさらに意味不明になる、というくだりなどには、「どっちもどっち」ときれいごとを安易に口にしてはいけないと涙する(著者は、「俺こそが、究極のどっちもどっちだ!」と意気軒高)。
 エピローグの2013年6月の大久保公園の描写には涙を止められない。1000人のカウンターの人間の壁が、機動隊に押されて(!)崩される。機動隊に守られた(!)100人ほどの在特会のデモ隊の日の丸が、著者には「泣いているように見えた」。
 本著を読んだ後も、私には、中指をたてることも、唾をかけあうこともしない。やはり限られた法的手段を考えるしか能がない。でも、大いに励まされたし、エールを送りたい(カウンター本にありがちなことだが、例によってamazonの評は「熱心」な酷評が増殖しているが、その数はこの本のパワーの指標ととらえるべきだろう)。(良)
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