判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
酒井順子著『下に見る人』角川書店 2012年

 酒井順子は、読んだことすら記憶に残らない、でも読んでいる最中は「あるある」とくすっと笑ったり、ほんのり薫る毒ににやりとしたり、という文章を書くのが巧い人と思っていた。しかし、本書では、毒をほんのりとする程度に希釈することもなく、これでもかこれでもかと見せつける。「そうかなあ、そこまでは上とか下とか人を縦に並べてひがんだりほくそえんだりしないけどなあ。物凄いこだわりだなあ」と思う私を、西原理恵子(最近『スナックさいばらおんなのけものみち』角川書店を読んだばかり)なら「そういうあなたが一番黒いっ」と叱るだろう。酒井は「そういうあなたが…」と人にツッコむのではなくあくまで自分は黒い、黒いとみせなくても黒い(黒さを巧みに隠すのが尚更黒い)、ということを書き続けるのだが、読者にもじわじわと「ああ確かに…」と後ろめたい記憶を喚起させる。
 大人になってから、いじめ被害者の手記を読むと、「いじめはいけない。いじめ撲滅!」となる。しかし、そう思う人の多くがいじめに加担した経験を持っているのでは?いじめ被害者は傷を一生忘れなくても、いじめ加害者は、常にいじめたつもりは無いのでは?そうすると、いじめられた辛さをアピールする手法が果たして効くのか。「いじめたい」という心理をみるほうが効果的ではないのか。なお、いじめの理由も時代によって変化している。酒井や私の世代ならば、「弱いものいじめ」。自分が弱いものではないことを確認したくて、弱いターゲットを狙う。しかし、ネット時代、何らかのプラスのポイントを持っている子がいじめられている子が多いときく。自己肯定感が低い子が、腕力も必要なく、匿名でできる上、会話しなくて済むので、言い負かされる心配もないネットを駆使して、いじめをする。とはいえ、いじめ行為に共通してみることのできる心理は「他人を下に見たい」という欲求ではないか。この社会で、上と下に分ける物差しは氾濫している(勉強、学歴、スポーツ、容姿、ファッション、モテ具合…)。子どものみならず、いや大人こそ、「『下』になりたくない」「『上』でありたい」という欲求で動くことがなんと多いことか。上を目指せばいい?それで疲れたときに、ふと「他人を下に見る」という甘い誘惑が…。
 「エンガチョ」は思い返すと残酷な遊び。それは日本の社会を反映した遊びである。エンガチョによって相手に移されるものは、不潔さというより、おそらく不浄つまり穢れ。自分には穢れの飛沫が飛んでこないようにブロックした後は、自分が穢れの処理を無理やり押し付けた人を「きたない」と白眼視する…。あのシンプルな遊びはそんな大人の感覚が形になったものといえるのではないか。
 「ドリフ」「たけし軍団」など、絶対服従を良いことに、上が下に恥ずかしいことやつらいことを強制し、それにおたおたする下をみて笑う。ここに「愛」は全くないとはいわない。愛の先にある「所有感」が「自分より下にいる者はどう扱ってもいい」という「かわいがり」「いじめ」に発展していく。妻を殴る夫、子を虐待する親。彼らは「所有物」を好きなように扱うことが楽しいからやっているのではないか。彼らを「感情の抑制の利かない野蛮な人」として自分とは関係のない人と思いがちだが、そういう酒井や読者も、テレビで誰かがいじめられるのを見て笑い、部活で上級生として下級生に理不尽な行為を強いていたのではないか。その感覚の延長線にある、という指摘は、DV事件や虐待を受けた子どもの事件を担当してきた私としてもとても腑に落ちる。
 しかしまあ同世代なのに、酒井は高校生であるときに「高校生である」ことの価値を自覚していた、ファッションセンスで同級生を評価し、上下の配置図まで作っていたというのが驚きである。お洒落か否かで厳しい判定がなされていたとは、全く知らなんだ。配置図は一番右の一番上にお洒落で遊んでいる子たちの名前が。左下にはダサくてまじめな子たち。センスは良いけど真面目な子、遊び好きな割にセンスが悪い子の位置もそれぞれ。ええっ。私は絶対左下だったろうな。酒井が「本当にダサい子、配置図でみたときに左下に位置するような、ファッションに興味が全くなくて遊んでもいない子たちに対しては、ダサい子批判はなされなかった」(批判と揶揄の対象になったのは、お洒落はしているつもりだがどうにもならんというバッドセンスな子たち)と書いているのをみて、なるほどと大きく頷いた。意地悪の対象にもならないわけで…いやそんなことはどうでもいい。
 大学の体育会系での酒井の経験にも驚きつつ、なるほどとも思う。優秀でもない男の下に女が位置付けられることに理不尽さを感じつつ、闘士になることはできなかった。長いものに巻かれ、男の支配下にはいる。しかし心の中ではねじれ現象が起こる。支配されながらも、心の中では男子を見下す。これって日本の夫婦像と同じでは、と酒井は気づく。高圧的な夫に不満を抱きながらも、離婚するのも面倒、男女同権によって負わなければいけない責任も面倒だから、夫に従う。でも、心の中では夫をバカにし、怨嗟をため込んでいく…。ひやー。怖い。
 出口が簡単にはみえない。だから、簡単な人権教育のテキストには向かない。でも、このような心理を直視しなければ、いじめや支配、暴力のことは見直せないとも思う。人権教育の副教材に、是非。(良)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK