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現代思想3月号『特集 大震災700日 漁師・サーファー・総理大臣…それぞれの現在』 青土社 2013年

 現代思想は東日本大震災後何度も震災の特集号を出している。3.11とそれに続く原発事故は、私たちの認識の組み換えを迫る(原発とは、科学とは、地方と中央とは、政治とはetc.)…はずだった。現代思想だけではなく、様々な問題提起の言説が溢れた。しかし、それは束の間のこと。今や、あたかも3.11がなかったかのような、勇ましい言説、「景気よい」言説のほうが、この社会をまたも覆う。そんなときに、現代思想がまたしても特集号を出したことは、忘却に抗するものとして、それ自体で大変意義がある。
 内容面でも、今までの特集号より一層多角的に震災と原発を取り上げており、充実している。まず、津波後の「復興」の旗印のもと、地域の豊かさを失わせる大公共事業が展開されんとしていることに対する地域からの悲鳴のような論稿が続く。仕事道具と家を根こそぎ津波に奪われた漁師千葉拓は、しかし、「自然の持つ浄化作用におもわず手を合わせ」、震災前経済・利便性を重視したために甚大な被害を受けたと自然に対し謙虚である。しかしその地域に、県がスーパー防潮堤・堤防を計画しているという。それらが建設されたあと、海産物の不漁や磯焼けが生じた他県の例をひき、漁民たちは町に陳情書を出し、町議会は全会一致で可決した。しかしその後も県は計画を見直さない。漁業経済学者の濱田武士は、容赦なく、「漁港集約化」の構想が虚妄であること、宮崎県知事が提言した「水産復興特区」は、行政職員のエネルギーを浪費させるうえ、尊い漁民自治を壊し、漁民分断という悲劇を生むと批判する。石巻市の住民である阿部晃成は、住民の希望を反映しない高台移転を町が推進したことにより、被災者の8割が出て行ってしまったことを踏まえて、事業そのものの問題点のほか、行政側のみならず住民側にも意思疎通に問題があったと述懐する。
 原発事故と放射能汚染についての論考も多岐にわたる。CRMS市民放射能測定所の活動、除染、移転をした元は福島第一原発から北西61qにあった保育施設(移転をしても入園希望者はなく、淘汰を予感している)、「除染して帰村」の国策が村民たちの思いとかい離していると思わざるを得ないという飯館村からの発信、福島県農民連としての東京電力への抗議運動、自主避難者の権利保障、サウンドデモ。湘南でサーフィンを生業とするサーフショップの経営者は「サーフィンと放射能は相容れない」と展開している脱原発運動。その他さらに多くの視点による分析、主張が続く。
 震災時首相であった菅直人に対する小熊英二のインタビュー「官邸から見た3.11後の社会の変容」。本インタビューだけでも、本特集号を手に取る価値がある。小熊は冒頭で真剣に迫る。「菅さんは当時の政府の最高指導者として、震災と原発事故の対応について責任があります。ですから、今日は自己弁護や党派的利害を抜きに、本当のことを語っていただきたいのです。アメリカではこういった証言のさい、証言者は聖書にかけて、自分が知る限りの真実を語ることを宣誓します。本日は「歴史の法廷に立つ身」として、自らが命令を下された方々、犠牲になった方々へ向けて、宣誓をお願いします。」菅直人は、正直に答えるのが、責任のありかただと承ける。私たちが「本当のことを語る」ことを真剣に求めたいのは、菅直人だけではない。これだけの甚大な出来事があったのに、まだまだ語られ、明らかにされるべきなのに、語られないことのほうが多い。それが私たちの間に絶望感と諦念を生んでしまっているのではないか。
 2011年3月15日未明、東京電力は、福島第一原発からの撤退を打診した(議論はあるが、官邸の面々の多くはそう受け止めた)。軍隊は政府の命令ならば生命身体の危険があろうと残るだろう。しかし、民間会社である東京電力は死者が出た場合の責任を負うことはできない。だから撤退というのも、むしろ当然である。しかし、福島第一原発から作業員が全員撤退していたら、最悪の場合首都圏5000万人が避難しなければならず東日本全体が人が長く住めない地帯になる可能性があった。小熊はいう。「原発というのは、最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出さなければならいものであり、日本にはその仕組みがない」ことが如実に示されたと。なぜ「撤退はあり得ない」と決断しえたのかの問いに、菅直人は、東日本全体が避難を余儀なくされれば、経済も立ち行かなくなり、政治も大混乱になる、「まさに日本という国自身が成り立つかどうか、その瀬戸際に追い込まれることを意味した」、そして、自衛隊や消防は原子炉の専門家ではなく、東電以上に事故対応能力をもつ組織はなかった、と答える。必要性からやむなく採られた、消去法による選択。法的な根拠などない。寺田補佐官が「法律的にはどういう根拠でその要請を出すのか」を問うたとき、枝野官房長官は「そんなこと言っている場合ではない」と抑えたという。「弁護士出身であるにもかかわらず」と小熊は言うが、法律的根拠がない以上法律の専門家だろうと法律的根拠を持ち出せるわけもない。法律的根拠がないままに場合によっては誰かに死んでもらう政治判断がなされた。それを私は強く批判することができない。むしろ、法律的根拠がないといって躊躇せずに、撤退を許さなかった決断に、心の片隅でほっとしてしまう。それは、何とグロテスクで非人道的、人権を無視した感覚だろうか。今もなお、仕組みがないままに(仕組みがあったら良いということではないが)、福島第一原発で作業員たちに仕事をさせてしまっている。
 原発がこのように人権を無視し犠牲を強いる可能性を内包していることが直視されずに、現在既に原発「再稼働」へ前のめりになっているのはどういうことだろうか。小熊はいう。「『再稼働反対』というのは、単に大飯三号機と四号機という個別の原発を再稼働するのに反対という狭い意味だけではなくて、『3.11以前の日本を「再稼働」するのは許せない』という意味だと私は解釈していました。」まさに。的を得たこの解釈を、政治家にも共有してほしいと切に願う。(良)
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