判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
J・K・ザヴォドニー著 中野五郎・朝倉和子訳 根岸隆夫解説『消えた将校たち カチンの森虐殺事件』みすず書房 2012年

 「緑色の水玉模様」の表紙、「渋くて洒落た表紙だな」とぼんやり思った後、これらが発掘により見つかったポーランドの将校たちの軍服のボタンであることを知り、震撼とする。
 このボタンをつけた軍服をまとい…あるいは脱がされて、虐殺された将校たちが誰に殺されたのか。本著は、その謎を、1962年の刊行当時の入手しえた資料をもとに、追及していく。今では、ソ連の犯行だったことは周知の事実だが、当時はまだ米英ソはヒトラー犯行説を主張していた。
 1921年ワルシャワ生まれのザヴォドニーは、1939年ポーランドがドイツ軍とソ連軍に侵攻されたときにはポーランドの一兵卒として闘い、ドイツとソ連による分割占領下で抵抗運動に加わり、武装SSと交戦し、負傷したり、ドイツの捕虜収容所に送られたり、ゲシュタポに追われたこともある。ナチス・ドイツの非情さを身をもって体験していたが、しかし、「連合国」側が唱えたナチス・ドイツ犯行説には易々と与しなかった。ポーランドの将校たち、医師等知識人たち22,000人(あるいは25,000人)が1940年4月から7月にかけていっせいに殺害された。本著書が刊行された1962年にはカチンで4443人ないし4800人の遺体が発見されていたが、その他の将校たちはまだ発見されていなかった(現時点でもまだ全容は明らかでない)。著者とまさに同世代、現実に知っていた仲間たちを喪ったものだろう。あるいは多数の遺族の嘆きも聞いていただろう。しかし、著者は、糾弾や慨嘆することなく、あくまでも抑えた筆致で、限られた資料を、入念に検討していく。ドイツも、ソ連も、英米も、それぞれ思惑があることも踏まえ、それぞれの資料の偏りに注意し、客観的な事実を抽出し、ソ連による虐殺であったことを結論づける。
 分析の前に概観される1941年以降の本件をめぐる国際政治情勢も生々しい。ポーランド政府は公式非公式のルートを通じてソ連に絶えず行方不明者について問い合わせていたが、何らの結果もでない回答しか得られなかった。ソ連はポーランドが「同盟国を疑った、信義に欠ける」と非難。英国のチャーチルは連合国の結束を訴え、スターリンがポーランド亡命政府との外交断絶のような重大な措置をとる前に自分に相談してくれなかったことに落胆してみせた上、ロンドンのポーランド亡命政府は「ソ連と喜んで協力するだろう」と述べ、いきりたつポーランド人にお灸をすえるかのように、「ソ連を攻撃する英国のポーランド語新聞を黙らせる可能性を検討している」と言い放った。英国としては、カチンの虐殺の真相究明よりも、対独戦争に勝ち抜くことのほうが優先順位は明らかに高かった。チャーチルは駐英ソ連大使との会議で以下のように言明した。「私はカチンに関する事実を議論しようとはしなかった。今は内輪もめしているときではない。」ドイツ犯人説に確信を持てなかったアメリカも、とりあえず、カチンの森については、「ドイツが自国の戦況不利から注意をそらすためにとった策略の一例とする観点」以外議論を避ける、さらには、「ポーランドほか被占領国に対するドイツの犯罪を語る」という態度であった。問題回避であることは明らかだった。人道に対する犯罪ですら、政治情勢に翻弄される。
 虐殺の被害者たちは、何度も掘り起こされ、報告者の恣意的な分析にさらされた。遺体は多数積み重なっていた(「効率よく」虐殺するために、遺体の上に並ばされて殺害されたと思われる)。積み重なった遺体は互いにつながってしまったものもあった。遺体には縄が食い込み、抵抗すれば首が絞められ窒息する、それ自体残虐な結び方であった。この結び方には特徴があり、犯罪者がソ連だったことを物語っていた。それでも抵抗したため剣で刺された後のある遺体も少なくなかった。その他隠ぺい工作がされても、多数の証拠が犯人を示していた。しかし、初めに結論ありきのソ連報告書(他のものより短い)は、客観的な証拠を参照せずに、「証言」からドイツが反抗したとのストーリーを紡ぎだした。
 政治指導者たちの言説、マスメディアのみならず、「専門家」が関与する研究、分析ですら、政治情勢の偏りの影響を受ける。本著は、それらの文脈を精緻に注意深く検証しながら言説を受け止めなければいけないことも、示唆してくれる。
 国家的な企みであっても、虐殺を隠ぺいはできず、ナチス・ドイツの犯行との結論を確定することはできなかった。豪胆にもソ連が告発者となって、カチンの森虐殺事件は、ニュルンベルク裁判でナチス・ドイツの罪状としてあげられたが、いつのまにか落とされて、この事件はうやむやになった。
 本著のはるか後、ソ連の崩壊後に、一次資料が公開され、本著の結論が裏付けられることになった。しかしまだ誰も責任追及はなされていない。
 目を覆うばかりの遺体の写真等が収録されている。日本の書物では、その悲惨さに掲載を見合わせるかもしれない。しかし、虐殺の事実を端的に示す証拠。目をそむけてはならない。(良)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK