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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
ダン・ストーン著 武井彩佳訳『ホロコースト・スタディーズ 最新研究への手引』白水社 2012年

 ホロコースト研究の文献は夥しい。本著は、1989年以降の研究の展開に焦点をあてた文献案内であるが、初期の歴史家の仕事を過少評価してはいない。しかし、あまりに膨大な文献を整理するために、ここ20数年に絞っている。1989年とは、東欧で民主化革命が起こった年であり、以降東欧各地の書庫に眠っていた資料を研究者たちが入手し、各地でのホロコーストの様相を調査することが可能になったという年でもあった。20数年に区切っても、取り上げる文献はすさまじい量であり、それらにより明らかになった様々な事実に圧倒される。加害者のみならず被害者の経験、加害者・被害者もそれぞれ均質ではなく地域・階級・ジェンダーによる差異に着目もされている。それぞれのゲットー、強制収容所。ロマ、子ども。あるいは、イデオロギー、近代、人種科学、植民地主義…。項目だけでもまだまだ多数ある。しかし、分厚い本著でも取り上げられなかった研究はまだまだある上、未だ手つかずないし手薄な領域も残されている。
 「手引」といっても手軽な文献ガイドではなく、様々な論点での論争の展開は刺激的で、深く考えさせられる。ノルウェーで、ベルギーで、フランスで、オランダで、ハンガリーで、ウクライナで…ヨーロッパ各地で、ユダヤ人が「移送」され、虐待され、抹殺された。ある歴史家の言葉「われわれがホロコーストと呼んでいる出来事は、ひとつひとつの要素が混ざり合って定義される全体のことである。」ユダヤ人の殺害には、現地の協力者が必要だった。それも、占領され圧倒されてといよりも、「自発的」な協力は珍しくなかった。各地でのユダヤ人の「生存率」も検証されているが、「どうしてベルギーのブリュッセルで63%なのにアントワープでは35%まで下がるのか」といった問いへの説明は困難である。現実の世界は複雑であり、行動は一貫性がないということを、むしろ近年の研究は示した。「複数のホロコースト」という概念自体が、トップダウンで実現した国家犯罪というイメージを転換する。ヨーロッパの人々の積極的で自発的な残虐行為があったという事実に、愕然とする。
 近代的に組織され、官僚的な正確さで実行された国家的犯罪、というイメージにはもはや矮小化できない。イデオロギーも重要な要素だが、私腹を肥やす、略奪するといったことが、多くの人間が参加する動機になった。狂信的にナチを信奉していた者もいるが、むしろつまらない理由、たとえば仲間からの圧力、集団力学、アルコールの過剰摂取等でも凶暴化した。ホロコーストの実行者たちは、サディストでもなんでもなく、殺人者に変容した。どちらにしてもおぞましい。しかし、善良な隣人が状況によって(それも脅迫されたといった事情もなくお金目当てといったことで)凶悪な殺人者に変容するという歴史的事実に、言葉を喪う。
 現実はすっきりとした分類や説明はできない。意図派か機能派か。唯一絶対か、比較をテーマにしてもいいのか(リヴィジョニストが比較を唯一性に疑問を呈した不幸な経緯はあったが、著者は比較の問題を消滅すべきでない、それはホロコーストを矮小化することにはならないという立場である)等。各国で起こった「自発的」な残虐行為があったにしても、それはナチスドイツの関与はあった。優生学はナチスドイツに政策の正当化の論拠を提供はしたが、その歴史だけからナチスドイツのたどった軌跡は理解できない。官僚機構、企業もナチスドイツに「貢献」したが、経済合理性は相対的に優先されなかったなど、それもまた「なぜ」を説明することはできない。
 著者は、各研究の成果を紹介しつつ、随所になお「なぜ」という問いは解決されていないと書き添える。歴史家は「なぜ」ではなく「どのように」を説明して仕事を終えがちである。しかし、訳者(大変な労力に頭が下がる)後書きにあるように、「なぜ」が「どのように」に置き換わり、構造的な説明に「慣れ」てゆくと、恐怖さえもが説明可能なものである。しかし、それでは十分ではない。ストーンは、文化に内在する妄想や、暴力自体がもたらす快楽といった、「非合理」なものさえも射程にいれてホロコーストを理解しようとする。文化史は、加害者・被害者双方の「感情」にまで立ち入ることを可能にする手段でありうる。
 理解して私たちはどう進むのか、まで、ストーンは考える。最終章の言葉は重い。「ホロコーストは、人権について、何も教えない」。ホロコーストに何らかの救済を見いだそうとする試み(解放による終焉、イスラエルの建国、家族の再建…)は、破壊の甚大さをむしろ嘲るようなものだ。無菌化して子どもに教えたら、事実をゆがめる。逆に無菌化せずに教えたら、それも害になる。それでも、理解をしようとしなければならない。
 末尾におさめられた歴史家の言葉の真摯さに打たれる。「政治的な判断の正しさを確認したり、ユダヤ人の苦難に対する理解を高めたり、(略)つまり私たちの「気分をよく」するために、意図的にホロコーストを研究し、提示するとき、問題が起こるように思われる。あのようなことが起こりえたという事実だけでも、畏怖の念を持って考察し、科学的好奇心で研究する理由となる。恐怖を理解したからといって「気分よく感じる」べきかどうかは疑わしい。こうした意図でホロコーストに取り組む人に出会うと、私はとても居心地悪く感じるのだ」
 日本でも、ホロコーストに関する書物は多数ある。しかし、他方で、「ナチスの手口を学べ」と発言してもそのまま副総理であり続ける政治家がいたり、図書館や書店でアンネ・フランクの関連書籍が破られるといった事件が発生したり、さらには、ヘイトスピーチが「表現の自由」の名のもとで展開されたままになっていたりする。「遠い国の昔の出来事」ではなく、この社会の今を考える上でも、ホロコーストの数々の研究から、学び続けなければならない。(良)
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