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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
北原みのり・朴順梨『奥様は愛国』河出書房新社 2014年

 北原みのりが書くものには「そうそう!」「よくぞ言ってくれました!その通り!」と膝を打ち、アハハと笑うことがよくあった。しかし、『さよなら、韓流』あたりから、どうも元気が出て来ない。本書の北原そして朴順梨の文章に共感するが、苦い困惑に沈んでいく。ガッツポーズをとりたくなる痛快さはない。「奥様は魔女」のあからさまなパロディのタイトルにはくすっと笑えるが、中身はくすっと笑えず、読み進むうちに暗く重くなる。北原だけが変化したのではない、彼女が取材するこの社会がどんどん辛い時代に入ってきている。
 元・在日三世の朴は、出自を理由にしたいじめを受けた経験はほとんどなく、「日本人と全然変わらない」(それがいいのか悪いのかわからないが)まま大学を卒業し、就職した。排外デモのことも全然気に留めていなかったが、『ネットと愛国』の著者である安田浩一に止められたことを機に、逆に排外デモの現場に赴く。デモ隊に女性たちがいるのを見つけ、驚く。それまでは排外的な言動で攻撃してきたのは男性ばかりだったからだ(もっとも、女性は少数である)。彼女たちは、「韓国人を射殺しろーーー!」と叫んだ帰りに、地元の店で食材の買い物をして、夕食の支度をして家族でテーブルを囲むのか、子どもを叱ったりかわいがったりするのか。朴も、そして北原も、「愛国」にはまりヘイトスピーチに加わる女性たちを知りたいと取材を重ねる。本当に頭が下がる。ヘイトスピーチを見かけて足がすくんだ私は、そこに加わる女性たちに関心は抱いても、諸々の現場に足を運びたいとは思わない。拒否反応や強い違和感を抱きながらも取材(ときには潜入)を続けた朴と北原の労をねぎらいたい。
 愛国女性たちの様々な「取り組み」「意見」にまず驚く。渋谷ハチ公前広場での、「愛国女性のつどい 花時計」の街宣活動は、「見てはいけないテレビ局ランキング」(2位は「浅田真央を下げて金妍を上げる報道を繰り返す」フジテレビ、1位はNHK)、」「従軍慰安婦はウソ」と書かれたパネルをはめた20代の女性が写真撮影に笑顔で応じる、といったもの。ある女性は「息子は戦争に送りたくない」と言いながら、「日本を護るために、憲法を見直す時期に来た、国防軍はやむを得ない」と言う(では、一体誰がその国防軍の兵士になるのか?とどうしても突っ込みたい)。ある出来事から「教師は優しいふりをする詐欺師」と気づき、「日教組が悪い」、だから、徳島県教職員組合を襲撃したのだという女性…。「もし戦時に生まれていたら、自分は慰安婦に志願する。愛する男性を命がけで支える」とツイッターでつぶやく女性…(「慰安婦」は相手を選べないし、そんなことがどうして男性を支えることになるのか?)。「明治天皇の玄孫」の竹田恒泰がフェミニストを嘲笑し、教科書に女である卑弥呼が日本の建国者であるように書かれているのは「中国の意図を感じる」等と言い放ち、女性を見下す乱暴な言葉を繰り返す講演会にて、3時間以上も座ったまま熱心に聴く女性たち。「花時計」が推進する団体が主催する「日本を学ぶ」幼児教室(明治神宮で行われている)では、大人たちが子どもをケアしながら、教育勅語を読む。しかし、より驚くのは、後述する通り、彼女たちが「全く異なる、相容れない女性たち」ではないことだ。
 「仕事も恋人もない、孤立した若者たち」が鬱屈した思いを差別で解消すべく排外主義、ネトウヨへ流れていく、というイメージがある。しかし、本書に登場する、ヘイトスピーチを行う愛国女性たちは、花の女子大生を過ごし、OLを経験して結婚し出産したなど、決してそんなイメージにはおさまらない。「行動保守に不愉快に思う人はいると思う」、でも、「皆に問題意識をもってもらうにはおとなしく諭しても訴えるものがないので」そのためのパフォーマンスだ、などと淡々と説明する女性。あるいは、フジテレビデモに参加した女性たちは、外国籍なのに生活保護や参政権を与えるのは反対だし、朝鮮学校の無償化にも反対だといいながら、街中で「死ね」「殺せ」は言ってはいけないと、ある程度、節度もある女性もいる。決して、言葉が全く通じないわけではない。しかし、納得することはできない。ねらいは「ニッポンのおかあちゃんが笑顔でいられる」社会へのシフトだと説明されても、その手段がどうしてヘイトスピーチになるのだろう。朴や北原と同様、決して理解できない。
 理解はできないのだが、共通した感覚もいくつもあることに驚く。マスコミは信用できない。マスコミは偏っている。彼女たちと同様、私たちも叫んできた。マスコミは、私たち女たちの声を届けない。私たちは、偏った思想の偏った運動をやっている女たちだと思われているが、そうじゃない。怒り方が、意外に共通しているのだ。手作り感覚の、「ふつうの、わかりやすい言葉」で語ろうとする姿勢も。では違いは何か。男が女たちの街宣を見守り、最後の演説をしめくくる。「橋下さんは正しい」と叫ぶ女性。北原は、彼女たちの日本の男への信頼に自分との違いを見出す。
 他方、「従軍慰安婦」に関するデモに参加した北原は、主張は一致しているはずのデモの中で、違和感がぬぐえない。「従軍慰安婦」に関する言説を静かに考える状況ではない。「日本政府は賠償しろ〜」といったシュプレヒコールが空に消えていく。…むりだろ。20年同じことを言い続けて通るわけがないと心の中で切り返す。街ゆく人も止められた車もうんざりしている。その場にいた北原のいたたまれなさ、よくわかる。本書の後半に出てくる雨宮処凛も、右翼団体に入る前に左翼団体にも顔を出したが、「難しいことを偉そうに話す選民意識のあるおっさんたちがいて、どうにかして」と嫌気がさして、右翼団体に行ったと話す。左翼よりも右翼の方が、「わかりやすい言葉で」話してくれた、ともいう。左翼は、こういった感覚にまゆをひそめていてはますます落ち目になる。右翼の方がむしろこうした感覚に対応したことを直視すべきだろう。「戦後民主主義に疑問を持ち、先祖に誇りを持てるような普通の国にしたい、だから愛国運動をしている」と語る女性に「飛躍ありっ」と指弾するのはたやすいが、それでは、右傾化の波は止められない。
 ではどうしたらいいのか。京都朝鮮第一初級学校への襲撃事件の原告代理人弁護士とともに、「彼女たちに響く言葉はないと思います」と言いたくなる。気が重くなる一方であるが、最後の最後に救いのきざしがある。「差別撤廃東京大行進」というパレードに参加した朴は、フジテレビデモに参加した女性が参加しているのを見つける。真逆の思想でも、つながることはできるのではないか。楽観的かもしれないが、涙が出た。
 苦しみながら労作をまとめた2人に拍手したい。いやハグしたいほどだ。 (良)
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