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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
池内紀著『本は友だち』みすず書房 2015年

 「本は友だち」。かたわらにいつも本を置き、隙あらば読みふける、読んでは忘れる、でも何かの折に思い出す。そんな読書好きにとっては、タイトルだけでたまらない。
 何十冊もの本が、「会いたい人と会うように」「あの頃のこと」「山と川と花と」「ともに考える」「解説をたのまれて」、とゆったりと5つに分類されている。
 「会いたい人と会うように」には、お亡くなりになった方たちに対する敬意が滲み出る追悼文のようなエッセイが収められている(まだご存命の方もいらっしゃるが)。江藤文夫、杉浦日向子、池田晶子、森浩一、木田元etc。どれも、そうかこんな面白いことが書かれていたのだ、読みなおしたいと思わせる。隣国の横暴に苦しめられてきたチェコ人であるチャペックのエッセイも同様。彼は、うかつに「自分の意見」を口にするといけに危険か、情報の操作のままにつくられる「世論」なるものがいかにウソくさいか、鋭く深くわかっていたらしい。
 つい一言書かずにはいられないところもある。パリのガラス職人だったというメネトラ親方(1740〜1812)の『人生の記』は職人のリチギさ通り、気取りなく、自分から見た真実がそのまま書かれていて抜群に面白いらしい。しかし…。連れの仲間と「順繰りに娘に狼藉に及」び、その結果、その連れの仲間と「兄弟の契り」を結んだというのには、解説を書いた歴史家も「理解を超えている」としているようだが、21世紀を生きるフェミニストとしてぞっとする。かなりのほらが混じっているらしいといっても…。
 「ともに考える」の章には、ヒトラー、ナチス、放射能、加藤周一、憲法の本。「本は友だち」ではあるが、読みながら微笑んでいられるおだやかなものばかりではない。でも、池内が『私はホロコーストを見た 上下』の紹介でまとめるように、「真実を知るのに遅すぎるということはない」。本にまとめられていたら、忘れ去られかけても、苛烈な過去を思い起こす手がかりが残る。
 加藤周一の本は読んだことがなかった。しかし、「国家への忠誠?しかし国家が主張する善し悪しは、10年もすれば、逆転します」「多数派意見が正しいということでは全くない」「日本のくせはどうかというと、ものを隠すのがくせだということです」「どうして一夜にしてかくの如く変わり得るのか、日本人の心というのはどういう仕掛けになっているのか」という引用を読めば、俄然今この日本にいる私としても読まねばならないという気持ちになる。
 悪文として槍玉にあがる日本国憲法について、「日本語の文体が最も進化を遂げた例」と掲げ、「たしかに漢和洋、三者が混じりあい、文章はねじれ、当然のごとく文体はぎこちないのだが、このぎこちなさこそが日本国憲法の文体を世界人類の希望として輝かせているのである」、第9条については、「世界の未来に咲く一輪の花」にたとえた石川九揚の『書のスタイル 文のスタイル』もまた、読みたくなる。池内によれば、「つねに論理と分析を重んじ、論述と実証で通してきた人が、一度だけやさしいたとえでもってした」というのだ。ぐっとくるではないか。
 「解説をたのまれて」に収められた文章に紹介されている本もどれも興味深い。特に『耄碌寸前』。森鴎外の子どもといえば、森茉莉と思っていたが、この本の著者の於莬こそ、「家庭人鴎外の遺産の第一」と池内はいう。鴎外と同様医学の道に進み、解剖学者になった於莬の文章はたのしい軽みがあり、鴎外よりも一段と深い「無私」ともいうべき遠近法の独特さがあるという。
 あとがきにあるように、いくら電子テクノロジーが発展しようとも、本を愛する人は、「紙の質感、インクの色、活字の配置、装幀…」等の個性も本の中身に独特の意味を与えていることを知っている。一瞬で調べたい、そういうことではないのだ、本を愛するということは。まだまだ、本、紙の本を愛で、読みたい。本への愛に共感できる一冊である。(良)
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