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良沙哉著『「慰安婦」問題と戦時性暴力 軍隊による性暴力の責任を問う』法律文化社 2015年

 2014年、朝日新聞が吉田証言が虚偽であることを認めた。その紙面を読んだとき、「ふーん、しかしなぜこんなに大きく取り上げるのか?」とのんびり思っていた私は甘かった。「慰安婦」問題のたったひとつの証拠であるはずがなくむしろとうに信用性が疑わしいとして重視されなくなっていた吉田証言が虚偽であるからといって、「慰安婦」問題がなかったことにはならない。にもかかわらず、以後、あたかも「慰安婦」問題そのものがなかったかのような言説が噴出したのはどういうことだろうか。
 本著は、膨大な文献、国内の判決を取り上げながら、「慰安婦」について暴力的な強制徴集・連行があったこと、徴集・連行後(甘言や欺瞞による徴集・連行後であっても)過酷な性暴力、身体的暴力が加えられたこと、軍隊の管理下にあったことなどが認められていることを指摘した上で、「慰安婦」は独特の特徴を有する性暴力制度であるが、軍隊の男性性・男らしさ強調と女性蔑視という軍隊の構造が、極端に凝縮され表れ出たものであることを明らかにする。地道な努力を重ね、「慰安婦」への暴力の実態を明らかにした研究者や弁護士の方々に頭が下がる。判決で認定された事実の抜粋を読んだだけでも、その陰惨な加害・被害の様相にショックを受ける。この問題を追及してきた著者ほか多くの方々は、二次体験により精神的な苦痛を負ったのではないだろうか。しかし、過酷な事実だからこそ、明らかにして後世にも伝えなければならないとして、真摯な努力が重ねられたに違いない。そのような誠実な態度に比し、その成果として積み重ねられた裁判例での認定や史料に基づく地道な研究成果を一顧だにせず、吉田証言のみで全てが虚偽だったかのように攻撃するバッシングは、あまりにも知的に不誠実な態度ではないだろうか。そのようなバッシングが大手をふるっている現在の状況は、この国の知の劣化のあらわれと憂わないではいられない。
 もっとも、日本の司法は、山口地裁以外は、事実認定をしながら、国に対し、謝罪や損害賠償による被害者救済を命ずる判決を出さなかった。国家が正義を保障する責務を遂行しない場合、市民社会は正義の保障に乗り出すことができるし、そうすべきだ。そのように述べたクリスティーヌ・チキンらが判事を務めた女性国際戦犯法廷が明らかにした事実も、本著には詳細に記述され、過去の事実に誠実に向き合うことが日本軍「慰安婦」制度によって傷つけられた女性の尊厳の回復や正義の実現につながることを示した民衆法廷の意義が明らかにされる。
 ところで、日本の裁判所が被害者の請求を斥けたのは、除斥期間や国家無答責の法理、国際法に基づく個人の国家に対する請求権の否定などによる。これらについて、それぞれ研究者による鋭い疑問が呈されていて、心強い。「大学におけるアカデミックな研究は、抽象的で高尚で難解である反面、実際に苦しんでいる被害者個人のリアルな痛みには関心がないのかも…」というのは思い込み、しっかりした理論構成は、法律を個人個人の救済のためのツールとして提供してくれるとあらためて学問の意義にも感じ入った。裁判所にも研究をしっかりと踏まえてほしいのだが。
 本著は「慰安婦」問題だけではなく、第二次世界大戦後の軍隊・軍人と性暴力(韓国、沖縄)、民族紛争下における性暴力(ルワンダ)をも分析し、軍隊の構造的暴力としての性暴力が戦時だけではなく平時においても発生すること、決して過去の出来事ではないことを明らかにする。紛争と性暴力が緊密な関係にある…というのと、橋下市長がかつて「なぜ日本の慰安婦制度だけが取り上げられるのだ。当時、世界の各国の軍が慰安婦制度を持っていた」「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的に高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なことは誰だってわかる」等と発言したことを裏づけるのだろうか。いや真逆である。まず、軍隊の構造的暴力の問題ではあるが、特殊性はあったし(公娼制を思わせる「慰安所」のつくりや性管理システム、設置された地域が広範、女性の人数も多く出身地も幅広い)、また多くの戦場で性暴力がふるわれてきたからといって、当事国が免責されるものではないと著者はいう。軍隊の訓練や戦争行為、紛争の場で、男性性・男らしさが強調され、その維持強化のために、他者に対する暴力的な支配の表れである性暴力を必要とし、女性の性が蹂躙される。そのことを「仕方ない」とみなす見解は、慰安所を設営し女性に対する性暴力を是認してきた当時と変わらないのではないだろうか。そして、そのような見解には、被害者の視点は欠落している。私たちは、被害者の経験をまず察するべきだろう。そうであれば、本著と同様に、「性暴力を引き起こしやすい軍隊を、平和を構築する手段として選択することじたいに反対」したい、もし選択されてしまうとするならば、国家は性暴力を未然に防ぐ努力と発生した問題に対処する責任を持たねばならないと言えるはずである。「慰安婦」制度の構造的暴力の問題を直視しないのであれば、現在も続く軍隊による性暴力の問題にも向き合えない。
 在日米軍が大規模に駐留しており、米軍人による性犯罪が多く発生している沖縄(本著には沖縄における軍人による性暴力に関する考察もある)に生まれ、沖縄に住む著者は、平時における軍人の性暴力もまた軍隊の構造的暴力であり、戦時性暴力の延長にあることを、リアルに認識しているのだろう。あとがきに1995年9月に沖縄で発生した米軍人3名による少女暴行事件を契機にして軍地による性暴力の問題に関心をもったとある。文献を読み込んだ上での学術的な著書でありながら、切実な願いのようなものが感じ取れるのは、やはり間違いではなかった。暴力に目をそむけていては、暴力から自由で平和な社会は築けない、築きたい、という願い。この労作を読んで、多くの人がその願いを自分のものとできるといいと心から思う。(良)
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