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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
村木厚子・秋山訓子編『女性官僚という生き方』岩波書店 2016年

 正直、タイトルからは、「デキる女たちのモーレツ人生の自慢話?あまり読みたくない」と思った。さにあらず。仕事にやりがいを感じながら(あるいは戸惑いながら)、しかし自分をあまりに消耗させ、家庭生活を犠牲にしていくのもおかしい。そう気づきつつどうやって変えていけばいいかわからない、あるいは変えていこうともがいている多くの人たちにとって、涙なくしては読めない本だ。え?涙?それはさすがに大げさだろうと思うかもしれない。いや、掛け値なしに本当だ。まさに所々で涙で文字がにじんでくるほど感動した。
 トップまで昇りつめた村木厚子前厚生労働事務次官から、中堅層、若手まで、世代は様々。所属する(した)省庁も幅広い(内閣人事局、経済産業省、外務省、衆議院調査局、財務省、厚労省、環境省、復興庁、農林水産省、文科省、法務省、防衛省、警察庁)。タイトルで予想した、超デキる女たちもゴロゴロいる(留学した大学院で著名教授が「1年分のつもりで示した課題図書を1週間で読みこんだひととか…」。そして、働きすぎ。かく言う私も働きすぎだ。しかしそんな私でも読んでいて吐き気がする働きぶりをしている女性たち。夜中にコピーしようとしたら栄養失調etcで倒れて警備員さんに見つかったり。日々職場で段ボール敷いて寝たり。
 実家他に子ども預けたまま海外に赴任したり。ありえん。栄養失調etcで倒れるくらいならまだいいけど(よくないか)、刻々成長する子ども、その成長ぶりを見られないなんてありえん、私には。といってもそのありえん生活をオトコ官僚はふつーにしてきたのか。それがふつーなんておかしい。おかしい、と異議を申し立てたかったけど、出来ずに我慢したオトコ官僚もいただろう。その挙句過労死したり…あまりに悲しすぎる。
 「男並み」かそれ以上に超人的に仕事をこなした世代を経て(彼女たちが「女が使えるか」という省庁の思いこみを崩し、女性採用を切り拓いてくれたといえる)、若い世代では、バリキャリより子育て期間は子どもを優先しようとしたり、いやモーレツキャリアの道か、マミートラックかどちらか極端な二択しかないのはそもそもおかしいのではないかと模索を始めている。アウトサイダーだった女たちが参入したことにより、オカシイことをオカシイと気づき、オカシイと声を上げ始めた。それは確実に、オカシイと気づけなかったあるいはオカシイと口にすることを我慢していた男の官僚たちのためにもなる。
 具体的には、国会開会中に官僚の残業の原因となる、議員が何を質問するかを省庁に伝える「質問の事前通告」の早期化を目指し、若手女性官僚が動いた。本書には中心的メンバーの3人の女性官僚の鼎談が収められているが、そのうち2人は上司ないし先輩が現実に過労死している(!)。そして、「この働き方では子どもを育てられない」とそれこそ泣きながら辞めていく優秀な同期の女性たちを悲しく見送った経験もある。彼女たちが知り合ったのは、人事院の若手女性管理職向けの研修。30年間の歴史を振り返って語る村木厚子さんらの話に、大いに刺激を受け、「今後も頑張ろう」と活力を得たそうだ。さらに、各省庁にぽつんぽつんと孤立していた女性官僚がこの研修を機につながり、メーリングリストを立ち上げる。そして皆が同じように国会の質問通告に悩んでいたことを知り、こればかりは自分たちだけではどうにもならないと、一気に動く。アンケートを実施し、取りまとめ、議員に相談に行き、2014年5月自民党国会対策委員会と意見交換会、6月には内閣人事局長に霞ヶ関の働き方改革の提言を行った。とんとんと書けるが、ただでさえ忙しい仕事の合間の活動だと思うと、目を見張る。それも、「あっという間にやりました」…、さすが、デキる女たちは違う!アンケートの自由記入欄には情熱的な書き込みが続いたという。女だけではなく、男も、仕事と家庭の狭間で苦しんでいた。女性だけが配慮してもらうだけでは、3割が女性になる時代に組織が回らなくなるし、女性たちには男性と同じポストについて仕事ができない。子育て中のだけに配慮して、シングルや子どもがいな人にしわ寄せがいくのではどのみち持続可能ではない。配慮されている、と女たちが罪悪感を抱くのもおかしい。誰もが残業しない霞ヶ関に転換しなければ、持続可能ではない。質問通告は与党くらいしか早まっていないようだが、それでもずいぶん違うという(野党は野党で質問通告が直前になるのも戦術として理解できる…と大人である)。さらに、ネットワークを外にもつなげていきたいとのこと。のびやかで気持ちがいい。
 出世したくないという女性も多いそうだ。そこまで仕事に捧げたくない、ということだろうか。私自身「エラくなんかなる必要ない。つまらなそうだ。現場第一」などと素朴にわかるような気がしてしまう。しかし、公務員として頂点に昇りつめた村木厚子前厚労事務次官のシンプルな言葉に、なるほどと考えを改める。「出世というのは階段を上ること。遠く、広く見渡せるようになることだと思います。責任と権限が増えて自分が意思決定に関わることができて、やりたいことを実現するためのパスポートが増える」。その「やりたいこと」は現場とつながっていなくてはならない。現場の人々と接し、「相手と『これをやりたいね』なんて意気投合しますよね。そのときよく言われたのが、「そのために、あなたは大きなハンコを持つようになってください」。昇進するにつれて、やらなきゃけないことをやれる範囲が広がってくるんです」。現場第一だからこそ、昇進しようと前向きになる。現場の視点を忘れない女性たちが管理職につけば社会は変わっていくという希望を抱ける。
 実は、村木さんにはひとつ引っかかることがあった。それは、どこかの本で読んだ、村木さんと同世代で殺害された東京電力の幹部社員だった女性は会社で男性同僚はさせられることのないお茶くみをさせられて不本意そうにお湯のみを乱暴に洗いしょっちゅう割ったのだが、村木さんは労働省の中で不服を示さずお茶くみをしたというエピソード。本著の中で、村木さんもひっかかるものがなかったわけではなかったと知った。お茶くみを命じられて闘わなかったことは自分の選択として間違っていなかったと思うけれども、でも、闘うという手段もあり、「そっちのほうが正しかったんじゃないかとも思った。ひっかかりというか。一種の傷になってずっと残っていましたね」。はたと気づく。私が引っかかるべきは、闘わなかった村木さん個人に対してではなく、闘わなかったことを心の傷として残すような職場に対してであった、と。当時の村木さんの胸のうちを思い、胸がいっぱいになる。平気でこなしているようで様々な傷を負った村木さんら先輩たちが、女性の後輩たちを励ます。いい循環も生まれている。
 本著は、公務員を目指す女たちには就活本にもなるだろう。余り知らない理系出身の公務員等の仕事の内容、それぞれの具体的なやりがいなど、部外者の私でも読んでいて大変興味深い。仕事と家庭を両立するために、どのように効率的に回そうとしているか、子どもがいなかったときに比べて優先順位を考えるようになったetc.、私も「わかるわかる」「こんな工夫もしたした」と膝を打つことも多い。
 「官僚」というと何か堅苦しいのっぺらぼうな響きがあるが(偏見。あ、弁護士に言われたくないかも(汗))、頑張ってきた女たちひとりひとり、愛おしい仲間のようにリアルな存在となってくる。いたわりあう女子会仲間たちのように思え、ハグしたくなる。
 小泉政権時代の2003年に「社会のあらゆる分野で20年までに指導的地位に女性が占める割合を30%程度」にする目標は事実上断念されてしまった。がっかりしていたが、本著を読んで、少ない女性官僚が穏やかにしかししっかりと変革を求めて頑張っていることを知り、楽観的に元気になってくる。(良)
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