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タニア・クラスニアンスキ著吉田春美訳『ナチの子どもたち 第三帝国指導者の父のもとに生まれて』原書房 2017年

 ヒトラーを支えた第三帝国の指導者たちを父にもった子どもたちは、どう生きたのか。彼ら彼女らは、父をどう受けとめたのか。情愛の面で近しい関係であるほど、判断するのは難しくなる。拒絶する者も、父の存在を無視し得たものではなく、子どもたちはその後の人生でナチの側近であった父の子であることで生き方を左右された。
 その名を出し、父の子とわかると、解雇されたり、住まいから追い出されたりした。しかし、ヒムラーの娘グドルーンとゲーリングの娘エッダの考えでは、「責任があるのは、ヒトラーただひとり」であった。エッダにとって父は「素晴らしい父」のままで、ゲーリングの名により、地元の名士を紹介してもらえる、役に立つと誇っていた。ヘスの息子ヴォルフは、父を理想化し、人種法自体が悪いのではなく、「運用の仕方が悪かった」とし、自分の子どもがヒトラーと同じ誕生日であることを喜んだ。
 しかし、他方で、自分の家系が忌まわしいものと受け止めた者もいる。ゲーリングの甥の娘は、「もうひとりの怪物をつくらないように」と不妊手術を受けた。「クラクフの暗殺者」ことハンス・フランクの息子であるニクラス・フランクのことを、ヴォルフ・ヘスは「ほとんど病気」とみなすが、ニクラスにとっては「良心の呵責も後悔の念も無く、父を正当化しようとするのは許しがたいこと」である。兄ノルマンは、収容所に父と同行するなどし、弟ニクラスよりも実情を知っていたはずだが、過去が知られることを恐れ、アルゼンチンで過ごすなどした。父を愛してもいた兄は、弟が取材に応じ痛烈に父を攻撃したときにはその勇気に感心したという。そして、アルコールに溺れた。それでも、父フランクの罪と向き合ったのは、子どもたちのうちで、ニクラスとノルマンだけだった。
 ヒトラーの忠実な秘書ボルマンの子どもマルティン・アドルフ・ボルマンは、ヒトラーが名付け親となった。父が「敵」とみなしたカトリックに改宗し、その宣教師となり、布教活動をした。「父の息子として発見され、追及されるのではないか」と恐れ、沈黙を続けた。しかし、1980年代に、ナチの戦犯の子どもたちがその「遺産」とどのように生きてきたのかを調べ、ホロコーストの子どもたちとナチの子どもたちを対面させ、沈黙の壁を乗り越えようとするプロジェクトを始めたイスラエルの心理学者と接触することになる。マルティン・アドルフ・ボルマンも、犠牲者の子どもたちと、世界のホロコースト記念館を訪れ、ワークショップを指導するようにもなった。
 どこか、加害者の家族の葛藤にも向き合う刑事弁護人の仕事を思い出させる記述だ…と思いながら読み進めていたところ、「刑事事件専門の弁護士を経て、執筆活動に入る」と著者紹介にあり、合点した。残虐な行為に関与した父でも、決して怪物ではない。身近で接していた家族にとっては、尊敬すべき人物だったかもしれない。だからこそ、葛藤が強い。その葛藤と向き合う、あるいは、避ける、様々なありかた。その個人個人のストーリーの集積が、抹消すべきでない歴史の一端ともなる。(良)
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