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内藤正典・坂口正二郎 編著『神の法vs.人の法 スカーフ論争からみるイスラームの断層』日本評論社 2007年

 スカーフ論争とは,西欧やトルコで沸き起こった,ムスリムの女性が公的な場所でスカーフやヴェールを着用することを禁止することの是非についての論争である。本著において,憲法学,社会学のバックグラウンドを持つ研究者たちが,スカーフ論争の背景を多角的に分析している。本著の各論稿により,スカーフ論争が,「西欧対イスラム文明の衝突」といった安直な図式ではとらえられない複雑な問題を孕んでいることが,浮き彫りとなっている。
 評者は,憲法で,政教の分離は信教の自由をより完全に保障するための制度であると学んだ。ところが,フランスの第五共和制憲法1条にも規定されているライシテ(非宗教性)は,近代に至るまで国家と密接不可分であったカトリックの支配を排そうとしたフランス革命以降,共和制や公教育をめぐる激しい闘争を経て確立するに至ったもので,国家の宗教的中立性を徹底しようとする特殊フランス的な特徴を帯びている。フランスでは,公教育は,共和制を担う市民の育成の場であり,ライシテの主戦場であった。しかし,公教育の場での宗教シンボルの「これ見よがし」の着用を法律で禁じることは,決してライシテからの必然ではない。異質性を排除し,マイノリティを同化する装置として,公教育を機能させようとして,ライシテが正当化の論理に利用されているのではないか。多様な宗教・信仰との共生への道をいかに描いていけるかが,フランス社会の課題である(第T編2章)。
 スカーフ論争は,フェミニズムにとっても,興味深い現象である。政治的なイスラム主義の表明である男性のあごひげは禁止の対象とせず,女性のスカーフ,ヴェールばかりを問題にする西欧の対応は(なお,トルコは男女双方を規制の対象とする。),「抑圧されたムスリム女性の解放」という題目とは裏腹に,女性差別であるとの指摘(序章)は,興味深い。フランスのスカーフ論争では,メディアが増幅したステレオタイプのイメージも大きな影響を及ぼした。ある本を発端に,「ムスリム男性=強姦者=スカーフを強要する者」「ムスリム女性=強姦の被害者=スカーフを強要される者」との図式が繰り返し登場し,スカーフ禁止法に反対することは,「スカーフの強要の容認」,ひいては「強姦の容認」であるかのようなレトリックが展開されたという。さらに,テレビ討論会では,スカーフ禁止法に反対の論者は必ず,西欧における「時代錯誤のムスリム」のイメージに合致するようなアラブ人男性で,自分の意思でスカーフを被る女性には発言の場は与えられなかった。女性のスカーフを抑圧や非近代性の象徴として啓蒙の対象とする西欧にも,女性の身体の専有化という問題があるのではないか。西欧には,「ムスリム女性抑圧」を批判する言説も,ムスリム女性当事者の意思を尊重しようとしておらず,もう一つの「ムスリム女性抑圧」が働いている(第U編1章)。
 その他,ドイツ,ベルギー,トルコにおけるスカーフ論争についての論稿等,第V編の鼎談「共生に向けて何を提起するか」,いずれも示唆に富んでおり,一読の価値がある。
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