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わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
大谷恭子『共生社会へのリーガルベース(法的基盤) 差別とたたかう現場から』現代書館 2014年

 私が弁護士として登録したばかりの2000年、著者の『共生の法律学』(有斐閣)が出版された。一気に読み、私も弁護士として、差別とたたかい、「共生社会」構築に貢献したい!と奮い立った。それから14年、ついに待ちに待った続編が出た。「共生社会」とは何か。著者はいう。「共生」とは、差別を克服しようとする人と人との関わりであり、それぞれのアイデンティティを尊重し、認め合い、助け合い、必要とし合い、許し合う関係であり、「共生社会」とは、この人間関係を支え、維持しうる基底となる寛容な社会であると。
 男女(固定的役割分担、雇用機会、選択的夫婦別姓など家族法、性的自己決定権…)、障害者(教育、就労、地域生活、自立、自己決定…)、病気の人(根拠のない感染症へのおそれ、差別を生む予防法、精神医療、欠格条項…)、外国人(在日韓国・朝鮮人への差別、公務就任権・地方参政権をめぐる裁判、民族教育、戦後補償…)、アイヌ民族(肖像権裁判、同化政策、民族の権利…)、部落の人(現存する差別、差別解消への取り組み、差別と表現の自由、教育と救済のありかた…)、在監者(外部交通の制限、医療面の不備、社会内処遇…)、死刑(国際社会からの勧告、残虐な刑罰である死刑、死刑の基準…)、被災者(社会的弱者、地域の再生…)、原発(健康を享受する権利、環境破壊、被曝差別、情報管理…)、基地(沖縄に集中する米軍基地、憲法9条、秘密保護法…)、ピックアップしたこれらだけでも既に圧倒されるが、本書が取り上げる人権、差別の課題はこれらに尽きるものではない。
 その上、幾多の法律、条約、裁判例等を多数紹介しながらも、無味乾燥な概説書にはならない。当事者と接し、その怒りや悲しみを共有してきた著者ならではの迫力がある。そして、当事者をリードして問題を解決したと誇るのではなく、当初自分は何が問題かわかっていなかったが、当事者に教えてもらった、と述懐する。たとえば、アイヌ肖像権裁判の原告チカップさんから相談を受けた際に、一般的な肖像権の侵害のケースとして理解し、何より許せないのは、自分の写真が北海道開拓100年の記念事業として出版された本に掲載されたことだ、とチカップさんがいう意味が分からなかった、という。北海道開拓100年とはアイヌ同化政策100年、アイヌ民族を抹殺しようとした政策100年を意味する。その記念の本に自分の写真が使われたことの悔しい思いを聴き、その思いを無視する出版社と研究者の態度を確認していく過程で、著者は、これがアイヌ民族の尊厳の問題であり、差別の問題であると気づく。他の問題でも、同様に、著者は当事者と出会い、その痛みを実感しながら、何が問題なのか、理解していく。
 差別を禁止し、人権を保障する。法はそのためにある。そして、裁判所は、法に拠ってたつ、少数者の人権保障の最後の砦である。しかし、法は、人間、ときとして差別を当然視し偏見をもつ人間がつくるものでもあり、差別を維持強化することもある。裁判所も、残念ながら、差別にお墨付きを与えることすらある。しかし、諦めない人々がいた。根気強い彼ら彼女たち、そして彼ら彼女たちの疑問がまさに正当なものだと理解した著者ら弁護士がいなかったら、幾つかの法改正や司法判断による救済もありえなかった。そう思うと、胸が熱くなる。
 前進した分野はいくつもある。たとえば、以前は、障害の種類と分野によって一律に分離別学にされていた。障害を理由に、障害のない子どもたちから分離し、一般教育制度から排除する制度はおかしい。今となっては当たり前のこと(と思いたい)を1978年に求めた養護学校2年の金井康治くんの保護者の転校希望を、教育委員会は拒否した。自主登校を始めた康治くんに、教育委員会は校門にピケを張った。ある日康治くんがトイレを貸してもらうために校庭内に入ったところ、警察に通報され、車いすを押していた若者は建造物侵入罪で逮捕された。当時弁護士2年目だった著者は若者に接見した際、こんなことで逮捕され、さらには起訴されることなどないと考えたが、その見込みは甘かった。東京高裁判決は、統合教育に理解を示しつつ、刑事事件の結論としては若者を有罪としてしまった。若者は失職。しかし、康治くんほか障害のある子どもたち、その保護者たちの奮闘と、さらに障害者権利条約批准、関連法規の整備を経て、原則分離別学から、現在では、本人・保護者の意向が尊重されることになった。私の子どもが現在通う中学校には、障害のある同級生が通学している。著者は今の制度も「中途半端」と評価するが、障害の有無に関わらず同級生として仲良く過ごしている様子を見聞きすると、この点では格段に時代は前進したと感慨深い。
 現実は、100%スカッと喜ばしいことばかりではない。だからといって、100%失敗、不幸ということもない。そんな複雑さに考え込むところも随所にある。著者の生き方を変えた自主登校事件の康治くんは、31歳で永遠の眠りについた。康治くんは、大人になってから、ボランティアの介護を受けて自立した生活を送っていたが、いつしか酒におぼれていた。地域の自立にへろへろになっていたのなら声をかけてくれたら…。しかし、ある知人は「酒で死ねるなら本望だと思うよ。施設の障害者は酒も飲めないんだ」と言う。地域で生を全うする、それが彼のありかただったのだ。
 読みながら、自分がそれと気づかず経験してきたことにも差別があった、それを差別と気づかず、むしろ鵜呑みにしていたことを思い出し、疼くこともある。著者が生まれ育った東京の北のはずれには、朝鮮学校があった。中学生のころ(1960年初頭)、町の不良は朝鮮学校の男子と「ケンカ」した。それが実は「襲撃」だったことを後になって知ったという。私も、誰からか「朝鮮学校はこわい、喧嘩っ早い」と聴き、鵜呑みにしていた。さらに、小学校低学年のときに過ごした北海道で、成績の悪い子のことを、誰かが「あの子はアイヌだから」と言っていたことも思い出す。「成績が低くてもしょうがないんだ、私たちとは違う、劣った民族なんだ」というニュアンスを、私もそのまま受け止めていたのではないか。思い出すととても苦しい。
 そして、「差別はいけないけど、同和を理由に『糾弾』するなんて、怖い、行き過ぎだ」というのも、よく聴いた。部落解放同盟が教師の挨拶状が差別文書であると自己批判を迫った行為が監禁罪に当たるかどうかが問われた矢田教育事件や、部落解放研究会をつくりたいとの生徒の要求に反対した教師集団と部落解放同盟が衝突し、教師らが負傷した八鹿高校事件で、刑事事件として有罪無罪の結論は別にするも、差別に対する法的救済の限界を認め、一定の範囲・限度内の糾弾が認められた。それほど、法的救済にはあまりに遠かったのだ。その後、政府は差別事件の処理は「糾弾」によらず法務省人権擁護機関に委ねるべきとの指針を出す。しかし、人権啓発活動や個別的な人権侵害を調査し勧告等する程度では、被差別者を救済し、差別を解消することには無力ではないか、と著者は言う。私は気弱にも「糾弾」という強い言葉に臆して、人権擁護局に委ねるべきでは…と法務省のような見解をもごもご言ってしまいそうであるが、きっぱりとした著者の姿勢に、襟を正す。
 表現の自由との兼ね合いで諸々議論のあるヘイトスピーチについても、「構成要件を厳格にし、恣意的に濫用されるおそれを極力排するということを条件にであるが、差別に対し、社会はこれを許さないということを毅然と示すためにも、刑事罰は必要である」と明記されている。そうだとも、確信的差別を放置し、人間の生存と尊厳を深く傷つけることを野放しにしておくわけにはいかない、と著者にならって、はっきり言おう。放置しているのは、差別を黙認していることになる。
 弁護士は、基本的には、個々の事件の弁護人や代理人をつとめ、事件の終了とともに、その職務は終わる。しかし、著者の素晴らしいところは、事件が終わったあとも、弁護士としての職域を超えて、関わることだ。それも、義務感ではなく、様々な人との出会いを歓び、楽しみながら(ご苦労も多大と思うが)。たとえば、アイヌ肖像権裁判が終わった後、世界の先住民族を招いたエスニック・コンサートを開く。一緒に始めたチカップさんがさっさとアイヌ文様と刺繍の世界に行ってしまったことに驚きつつも、コンサートをきっかけにできた人間関係は貴重な財産となったという。さらに、永山則夫さん(著者は弁護人を務めた)の印税で基金をつくり、印税がなくなったあとはチャリティコンサートを開き、ペルーの貧しい子どもたちへ送金し続けてもいる。死刑を執行されて、永山さんはどんなに無念だったろうか。しかし、ペルーの子どもたちへの送金を知ったら、永山さんはどんなに著者に感謝するだろう。何よりの供養である。
 この間、私は著者と直接面識を得て、尊敬の念と憧れは一層増すとともに、あたたかくご自身が意図しないユーモラスなところにも惹かれている。著者と共に怒り、嘆き、闘ってきた当事者たちは、著者のそんなところにも、きっとエンパワメントされてきたに違いない。本著を読み進めながら、この社会は、未だ「共生」とは程遠い状況にある、いや、偏狭、不寛容な空気は強まっていると嘆息する。しかし、諦めずにたたかい続けることにより、人権保障、差別解消へ一歩ずつ前進もしている。そうだ、諦めないぞ!と弁護士になりたての14年前の旧版と同様、またしても奮い立つ。(良)
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