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吉田徹著『感情の政治学』講談社 2014年

 人びとが合理的に行動すれば、「良い」政治が生まれる…。というのは、神話である。近代の人文科学は、人間の感情を視野に入れないまま発展してきた。パスカルがパンセで指摘したように、理性を排除することは正しくないが、理性しか信じないことも狂気であるというのに。本著は、理性/感情の総体としての政治を考察することで、政治の実相を浮かびあがらせ、多様なかたちでの政治参加(の可能性)を実感させてくれる。
 感情を基礎にする政治というと、すぐさま「ポピュリズム」を想起する。しかし、負の側面しか考えられないわけではない。環境問題、人権問題、動物愛護等。反原発デモに参加するのは、感情を促されてのことではないか(反韓デモも、と併記されていると、価値中立的な例示だとわかっていてもがっくりするが)。そして、感情が活用されるためには、政治シンボルを核に、政治的言説や儀礼を通じて覚醒される必要がある。言説政治は、保守的な立場だけでなく進歩的な立場も行っている。著者は、政治シンボル、レトリックや儀礼は、ファシズムなどの動員手段になってきたから、警戒するのは正当だと認めつつ、感情は否定的な側面だけだというは間違っている、他者の立場に自分を置いてみる「共感」という感情は共同体に資すると指摘する。地雷原を進むような考察だ(第1章)。
 投票先や支持政党は、イデオロギー、公約ではなく、パーソナリティや心性と深くかかわっている。政治的な議論を交わし合っているイメージのフランスやアメリカでも、他者と政治についてあまり論議していない。しかし、親子関係、カップル関係など親密な関係同士の政治的態度は似通っている。政治意識は親密圏で生成される密度の濃い人間関係から生まれているのだ。となると政治をよくしたいなら、家庭内で政治をシニカルでなく好意的に論じること。しかし、日本では政治への信頼度は低い。政治的無関心であるがゆえに投票に行かなかったり、政治に参加しようとしないのではない、というのが、興味深い。「何をやっても無駄」と「合理的」に判断しているがゆえに政治的に無力感を抱く。このような政治を変えるには、自己を取り巻く環境の中で他者と話し合い、政治的なものをめぐって妥協したり取引をしたりするなかで自分を形成していく、それにより社会を維持発展させていく制度を作っておかなければならない、と本著は言う(第2章)。
 匿名性が高く、関係性が薄いほど、人びとは政治行為に参加するのに消極的理由を見出す。新自由主義の特徴は、格差拡大等の政治経済の次元以上に、社会全体を他人に対する不信を前提に組み立てようとしたことである。自分の利益を実現するために政治的な活動がなされているとの考えが蔓延すれば、政治的不信は避けがたい。統治者と被統治者相互のコミットメント関係が構築されていた例として、「タマニー・ホール」が挙げられる。移民たちは一方的に利用されたのではなく手厚く面倒をみてもらってもいたし、タマニー・ホールの政治家(中には「自分は正直な収賄政治家」と豪語した者もいる)は彼らの支持を取りつけて政治的影響力を行使した。ここの章も、「これは旧態依然とした利益政治の称揚にならないか」と心配になるところがあるが、著者は注意深く、政治的恩顧主義の是非ではなく(もちろん悪いところもあるが、ただちに腐敗と同一視するのは偏見であるとする)、交換関係からなる政治的関係に普遍性があり、どのようなメカニズムなのかを指摘するのが目的であるとする。人は、自己利益の合目的な達成を目的にするのではなく、他者との交換からなる関係性(物質的なものだけではなく、承認や自尊心など)を動機として政治に関わる可能性がある(第3章)。
 群衆を否定的に捉えた研究は多々ある。しかし、人が共にともに動くことはそれ自体が創造でもある。群衆は単に危険で無知蒙昧な存在ではない。そして、公的行為での人の目標と手段は不可分な関係にある。デモが正しいのか、正しくないのか、合理的なのか、非合理的なのか、という問いかけ自体、無効である。人びとは集団行為に参加すること自体に喜びと満足を見出す。その感情により公的なものが生み出される(第4章)。
 政治像やイデオロギーが破綻した時代、政治へのエネルギー源として、恐怖が残される。「テロとの戦い」、在日韓国・朝鮮人排斥運動…。ナチス・ドイツは恐怖を政治的な手段として利用した。マッカーシズムも然り。ハンナ・アレントは、恐怖とテロルが、共同性をはく奪され、世界から孤立した個々人の間で生じていくことを看破した(自分の「成功」を無思考に追求したアイヒマンなどをみよ)。アレントは、「政治」「活動」を媒介項にした他者と共有される「現れの空間」を形成することで、恐怖を追い払うことができるという。人びとはどのように公的空間に現れるだけのインセンティブを調達するのか、という問いにアレントは答えなかったが、著者は、情念が必要であるという。情念によるコミットメントが、理性が発揮される前提となる(情念が支配的になるべきということではない。第5章)。
 政治や政策は自分たちで作り上げているという信頼が高いところは、共同体が円滑に機能する。信頼なくして民主主義はない。強制や契約、競争に基づく社会関係より、信頼に基づくほうが、コストが低いままに、社会関係を構築できる。政治不信が強いのに、だからといって政治を是正するために参加もしない、日本の多くの人々。個人は、信頼がなければ、社会的な存在として行動できなくなる。前近代にはあった信頼が、近代では失われた…というのは正しくない。神の共同体から離脱した個人が、他人を信頼することで自分の自由を拡大する社会をつくるために、新たに創り出したものなのだ。第6章は、民主主義において人が他人を信頼することの重要性を説く。
 今これを書いている外では、統一地方選後半の選挙カーの「最後の訴え」が率直に言って耳障りではある。政治が私たち自身のものではないという不信感が私の中にも根強い。本著は政治にまつわる様々な事象の分析にひとつの視点を与えてくれるだけではなく、投票のみならず多様な政治的コミットメントをすべきであり、することができると促してくれる。なお、あとがきまで読んだ方がいい。「おそらくこの世の関係性がもたらす重みに耐えきれ」なかった親友に本著を捧げていることから、繰り返し人が他者との関係性の中にあることを強調する著者の切実さを改めて感じ入る。(良)
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