判例 女友だち 映画ウォーキング 情報BOX わがまま読書 リンク おたより欄
わがまま読書 独断と偏見に満ちたこむずかしくない読書案内です。教科書からマンガまで。
中脇初枝著『きみはいい子』ポプラ文庫 2014年

 「虐待やいじめは人権侵害」と唱えても、届いてほしいところに届きそうもない。虐待やいじめをする大人子どもを一刀両断に悪いやつと決めつけ放置するような言葉であり、虚しい。ついそんな程度にしか弁護士の講演では話せそうもないが、文学は素晴らしい。本著に収められた各短篇を読みながら、虐待やいじめの苛酷さがリアルに迫ってくる。そして、加害者もそれぞれの何かを背負っていて、指弾するのではなく、抱きしめる必要がある存在なのだということも。
 新任教師が学級崩壊に直面し、途中まで無力さに打ちひしがれる「サンタさんの来ない家」では、文字通り、子どもたちに「家族に抱きしめられてくること」を宿題に出す。皆に怒ることに疲れた教師に、父親が「ハグが足りないんだよ」と言ったことがヒントになった。家族に愛されている、「恵まれている」と実感できることが、大人に、教師になったときに、窮地を打開する力を残してくれる。もっとも、「ハグ」には怖さもある。アメリカの夫のもとから避難してきた姉がつぶやく。「ハグしてても暴力をふるうやつもいるけどね」と。
 照れながらも宿題を済ませた子どもたちをみて、教師は、ひとりひとりにかけがえのない子どもと思って抱きしめてくれる家族がいるとわかり、かわいいとあらためて思うことができた。着任時に校長がつぶやいたこと。「よせあつめの町、よせあつめの家、よせあつめの子ども、よせあつめの…」。いや違う、よせあつめのように思える子どもたちは、ひとりひとりかけがえのない存在なのだ。
 しかし、宿題をできない子どもがいる。毎日17時まで帰宅を禁じられている子どもは、いつも同じ服装で、給食費も払えていない。様々な虐待のサインに気づいた教師は、「ぼくはだめ教師だけれど、この子を救えるかもしれない」と子どもの家の扉を叩く、というラストシーン。ここで感動すべきなのだろうが、虐待事件も担当する弁護士としては、ついひやりとし、「ひとりで行動しては危険だ、児童相談所に通告すべきだ、福祉事務所にも連絡すべきだ…。これでは住居侵入といわれかねない」とぶつぶつと思ってしまう。
 「べっぴんさん」は、かつて虐待を受けていたため子どもに虐待なんか絶対しないと思っていたのに、毎日娘に暴力をふるい続けてしまう母親の視点の物語。虐待がバレたときに取り繕うとする主人公を、ママ友が「虐待されたんでしょ?あたしもだよ、だからわかる」と抱きしめる。鬱陶しいと内心思っていたママ友には、前から主人公が虐待していることをわかっていて、見守ってくれていたのだ。そして、責めるのでなく、受けとめてくれる、涙が止まらないシーンだ。ママ友は、お父さんから叩かれたときに、「あかん」と朝鮮人のおばあちゃんが止めてくれたことを大切に覚えている。そのおばあちゃんに「べっぴんさん」と繰り返し言われたことも。ひとは、家族以外の誰かであっても、大事に思われていることが実感できたら、絶望しないですむ。朝鮮人のおばあちゃんの思い出から、差別をされた経験のあるひとは、痛みに敏感になり、優しくもなれるのではないか、と示唆されている。
 「うばすて山」はかつて虐待された長女の視点から、自分を執拗に虐待した記憶を失い、大切にされてきた子ども時代を生きている老いた母を引き取り、戸惑う数日間を描く。母に向き合うのは遅すぎた。もう責めることも虚しい。しかし、ほかの人から励まされ、自分を責めることもなくなってきた、幸せな記憶を取り戻していく。
 人と人との濃密な関係の中で、被害や加害が怒る、しかし、また踏みとどまって前に進む力を与えてくれるのも人との関係なのだ、とわかる秀作がそろっている。(良)
Copyright(C) 2001 GAL. All Rights Reserved.
 
TOP BACK